Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

a mean pinball

Gizmodo Japanの絶滅寸前のゲーム文化、ピンボール工場の現在と云う記事を読んで、なんだかその昔にゲームセンターで費やした無駄な時間とコインにぼんやりと想いを馳せたりした。

ぼくがピンボール好きだったのは、高校生活の後半から就職するまでくらいだったと思う。あたまでっかちでミーハーな坊やだったぼくにとってのきっかけは多分村上春樹The Whoで、このあたりのぼく自身のキャラの仕様はいまに至るまで基本的に大きな変更はないなぁ、なんて思う。

駅前の日の出ビル、新伝馬町、一番町の南端。現存するゲームセンターもなくなったところもあるけれど、当時ぼくと幾人かの仲間はどこにどんなマシンが置いてあるかを全部把握していた。全部。で、誰かが新しいマシンの登場を確認するととりあえず試しに行って、それからビリヤード屋の片隅なんかで延々とインプレッションを語ったりしていた。ぼくらはマシンをほとんど揺らさないプレイスタイルで(とは云え流派を分けることなんかできないくらいに、すでにピンボールは廃れていたけれど)、ちまちまとリプレイに向けて点数を競っていた。
無駄。

繊細で技巧的な操作を受け付けるフリッパーと、バランスにすぐれたゲームルールでじっくりと楽しませるウィリアムズ。気合とタイミングとノリ一発で豪快にボールを弾き、ど派手な仕掛けを動かすのが醍醐味のゴッドリーブ。けっこう革新的なアイディアを持ち込むわりに、フリッパーの曖昧な操作感のせいかどうにもぴんぼけな印象が残るバリー。「1973年のピンボール」に名前の挙がっているシカゴ・コインはぼくらの時代にはもうスターンになっていて、でもそのスターンもすでに倒産したあとだった(稼動しているマシンはまだあったけれど)ので、あまり印象はない。

この記事には、そのスターンが現在残った唯一のマニュファクチュアラとなっていること、だけどそこで生産されたマシンはほとんどアーケードには納入されていないこと、が記されている。少し調べると、データイースト社(20代の頃、東京で時折見かけた)のピンボール部門がセガに売却され、それをさらに購入するかたちで1999年にスターンの復活がなったようだ。

ついでにスターン・ピンボール社のサイトを見てみる。「この惑星唯一の、コイン式ピンボールの生産者!」と誇らしげに書いてある。この惑星唯一の、と云うところがなんとも云えずよい。

ぼくらの時代、ピンボールの歴史のたそがれのなかでも、もう日没直前にはどのマシンも映画やアニメ、コミックやテレビ番組をテーマにするようになっていたものだけれど、やはり現行マシンも同様で映画がらみのタイトルばかりが並ぶ。もちろんマシンの優劣はテーマなんかでは左右されなくて、大事なのはフィールドデザインとゲームルール、そしてフィールのいいフリッパーのバランス。

だから、こればかりはプレイしてみないとわからない。唯一残ったピンボール・マニファクチュアラが好事家に向けてつくる最新マシンが、ウィリアムズのHi-SpeedやPin-bot、ゴッドリーブのGenesis、バリーのEight Ball DeLuxeのような(たそがれの時代のなかでもぼくらの記憶に刻まれている)名マシンを思い出すような、わくわくする無駄な時間を与えてくれるのかどうかは。