Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

呪術

地下に眠るMさん(とお呼びしてよろしいのだろうか)のニンゲンとは魔法が使える生き物であると云うエントリを読んだ。

いや、実はこのエントリに書かれていることにはまったく同意するんだけど、でも書き方がちょっとずるい気がする。

疑似科学スピリチュアリズム、超能力、霊の世界などを信じるのは、頭が悪いんじゃないか? 現代科学の圧倒的な成功に対して、ああいう時代遅れのオカルトはまるで成功してないじゃないか、成功のデータが見当たらないじゃないか。オカルト信者はまったく非合理的で、経験を重視していない」

などという意見は、合理主義者や懐疑論者がオカルト信者に対するときの感想として典型的なものの1つだと思いますにゃ。

典型的とか呼ぶには、これってなんかあまりにステレオタイプな気がするんだけど。て云うかこんな安い態度を取る人間を合理主義者とか懐疑論者とか呼ぶのは、ちゃんと矜持を持った本物に対して失礼なのでは。

「実のところ、僕たちひとりひとりの心の奥底に刻みつけられているのは、フィンガレットのいう魔法(僕は呪術思考とよぶ)の圧倒的な成功体験であり、魔法なくば生存すらかなわにゃーことの自覚なのではにゃーだろうか? ニンゲンならばみんな肝に銘じて知っているんだにゃ。魔法は実在し、魔法なしでは生きていけにゃーのだと。

でもその魔法は、ひととひとの間にしか生じないもので。その部分を外すと、わざわざ「水からの伝言」を持ち出した意味がなくなる。もちろんそのことを地下に眠るMさんが分かっていないはずはないと思うんだけれど、だとすればそのことに(読み手に分かるように)言及しないのはフェアじゃない(このあたりのフェアネスの感覚を期待できるのかどうかは、申し訳ないけど正直分からないけれど)。

このあたり、このエントリはここで完結ではないようなので、片思いに似た期待を抱かせていただく。
ちなみに、人間の思考の呪術性については、ぼくも三等兵さんの思惟に全面的に助けてもらいながらこの辺とかこの辺とかでちょっと考察してみたりしてる。で、ニセ科学との関わり、みたいな部分ではこんなエントリも書いたりしている、とかかこつけて発掘してみる。