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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

デフォルトのバイアス

TAKESANさんちの「くおりあ」と云うエントリのコメント欄経由で、Business Media 誠の茂木健一郎が語る、脳と貯蓄の関係と云う記事を読んだ。

これはソニー銀行預金残高1兆円記念セミナーにおける基調講演として行われたものらしい。先に云っておくと、なんと云うかこの時点で公演の内容は誰にでも見当がつく、はず。だってこのお膳立てで、「貯蓄と云うもののすばらしさを脳科学ジャーゴンをちりばめながら語る」以外のことを茂木氏がするはずがないわけで。あと3冊茂木氏の著書を読めば、ぼくにだって代行できるような気もしないではない。

 店舗を構える金融機関であろうと、ネット銀行であろうと、人はどこかにお金を預け続けていることは、今も昔も変わらない。なぜ金融機関にお金を預けるのだろうか? 何かを購入するという目的がなくても、定期預金や積立をする人は多い。

 その理由を、茂木氏はこう説明する。「貯蓄をするということは、未来に投資をするということだ。未来が明るいものだと思っている——つまり楽観主義をコントロールしている前頭葉の働きによって、貯蓄をしているのだ。

だからなんだと云うのだろう。と云うか例えば、借金してまでFXデイトレードに力を注ぐのは楽観主義ではないのか。その辺は脳のどこがつかさどってるんだ。それを楽観主義と云うなら、ポジティブなものとして認めるのか。それとも脳科学的には「いま」に投資をするより「未来」へ投資をするほうが楽観主義的でいいことだ、と云うなんらかの根拠があるのか。
楽観すれば脳がよく働いていろんなことがうまくいく、って云いたいんだろうけど、ほんとにそうなのか?

 「今の時代だからこそ、楽観的にならないといけない。脳の働き方からして、楽観的でないと最高のパフォーマンスができないからだ。とはいっても人生というのは、不確実性から逃れることはできない。例えば米国の経済は絶好調だったが、サブプライムローン問題という不確実性から逃れることはできなかった。個人の生活も同じで、将来のことは分からない。しかし『不確実性を楽しみだ』と思うか、それとも『不安だ』と思うかで、パフォーマンスは大きく違ってくる」 

これ、話の順番がめちゃくちゃだと思う。楽観主義と云うかユーフォリズムと云うか、は、むしろサブプライムローン問題の原因に属するものではないんだろうか。不確実な時代だからお金を貯めよう、貯蓄があれば楽観できてすべてがうまく行く、ってのはなにかしら根拠がある話なのかも知れないけど、でも正直云って「貯蓄できるだけのお金があっていいですね」と云う話にしかならない気がするし(まぁこの講演が行われた「お座敷」にはもちろんろくすっぽ貯蓄もないような貧乏人は呼ばれていないだろうから問題ないんだろうけど)、それだけのお金を持っている人間は「サブプライム層」とは呼ばれないだろう。
と云うか、景気の悪いときこそ貯蓄性向を高めるべき、と云う議論はあんまり聞いたことがないのだけど。経済学的にはともかく、脳科学的には正しいのか。ほんとか?

 「子どもの頃は、『根拠のない自信』に満ち溢れていたはず。ヨチヨチ歩きをしている子どもが、歩くのを怖がっていては成長することはできない。しかし親という“安全基地”があれば、不確実性に適応することができる。これは大人も同じことで、不確実性に不安を感じるのは安全基地がないからだ」

 それでは大人にとっての安全基地とは、何を指すのだろうか? 茂木氏は「経験、価値観、人脈」などが安全基地になるという。不確実なものに不安を感じている人は、一度、自分の安全基地を見直してみるといいだろう。そして「確実なものと不確実なものを、うまく受け入れるバランスを保つことが大切だ」と話す。

 また茂木氏は、安全基地の1つにお金を挙げる。「お金がなければ人間は不安になる。ということは、お金を預けることで、人間は前向きに生きることができるのだ」という。

素直に読めば、人間はよりどころがあれば楽天的になることができるし、楽天的になることができればすべてうまく行く、と云うことを云っているだけのように読める。で、その根拠となる脳科学的知見はさっぱり書いてない。
このあたりは記事を書いた人間が書き落としたのかもしれないけれど、だとすれば報道に携わる人間としての致命的な能力の不足だ。だって、ぼくたちはよりどころになるものがないから不安になるのだし、それに対して「よりどころがないならせめてお金を貯めろ。なんでもいいから楽観的になれ」じゃ回答にならない。云っちゃなんだけど斎藤一人氏自己啓発と変わりはない。いや、脳科学ってのがそう云うものだってんなら構いませんが、他の脳科学者のみなさんもそれでいいとお思いなのかな。

 英国のケンブリッジ大学に留学していた茂木氏は、そこで資本の重要性を知った。実はケンブリッジ大学は不動産業を営んでおり、その収益で学校を十分に運営できる。そのため大学の教授は「学問の自由」の下、研究に没頭することができるという。

 一方で日本の大学では、「お上にお金のことを頼めばなんとなるのでは」という考えの人が多い。しかし「これは悪い癖。学問の自由を支えるのは資本であって、お金を貯めることがいかに大切であることを知らなければならない」

この例で語りうることがあるとすれば、お金を貯めることがいかに大切であるか、ではなくて、ちゃんと自力でお金を稼げる基盤を準備しておくことの重要性、と云うかもっと云えば(資産を銀行なんかに預けてその運用を他人任せにしておくのではなくて)適切な運用を自ら行うことの意義、ではないのか。

 日本では、学校教育(高等学校まで)で金融のことを学ぶ機会は少ない。ただ単にお金を殖やすということだけではなく、お金を持つことで「人生のオプションが増えることを知る必要がある」と強調する。一方で「お金は権力が伴い、悪い側面もある。お金は万能であっても、良いモノであるとは言い切れない。ただお金をどう使うかによって、人生が設計されるので大切にしてほしい」と話した。

 「お金を貯めるということは未来への投資」という茂木氏。こうした行動の根底には、「楽観主義という脳の働きがあるため、決して悪いことではない」という。もし不確実な出来事に不安を感じていれば、お金という安全基地を見直して(貯めて)みてはどうだろうか。

最初に書いたとおり、これ以外の結論はお座敷の種類と講演者を考えれば存在し得ないのであって。内容としてはまさにその場の聴衆と、茂木氏をその場に呼んだソニー銀行(およびコーディネートした代理店)の望んだとおりの内容なんだろうなぁ、とは思う。要するにそのお座敷のバイアスに寄り添う内容を、茂木氏が適当にジャーゴンを織り交ぜて語ってみました、と云うことなんだろう。それでいいのならそれでいい、のか? いつもながら「脳科学の知見」と云うものを柔軟に運用しすぎなのではないだろうか。

と云うか、こう云う話を本当に脳科学の知見からできるのなら、経済学と認知科学の境界領域にあるような学問(行動経済学とかその辺)に長足の進歩を与えることができるような気がするのだけど、そのあたり突っ込んでいくと不勉強を露呈してしまいそうなのでこの辺を貼ってお茶を濁しておく。