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問題の捕捉方法 (「信じぬ者は救われる」香山 リカ・菊池誠)

やっと読んだ。正確に云えば2回読んだ。

信じぬ者は救われる

信じぬ者は救われる

  • 作者: 香山 リカ
  • 出版社/メーカー: かもがわ出版
  • 発売日: 2008/03
  • メディア: 単行本
 

実際のところ、これは事象をばったばったと切り倒していくような歯切れのいい対談ではない。
香山リカ菊池誠も悩んでいて、その悩みに関する示唆を互いの知見から得られないものか、と考えて対談に臨んでいる、と云うのが基本的な構図なので、この本を読むことでなんらかのすっきりした答えが得られる、と云うものではない。でもこれは基本的には、直面している問題の質的な部分に関わってくるものだ。

菊池誠は「ニセ科学を科学の立場からぶった切る」と云うような言説は行わない。問題がそこに収斂しないこと、そうすることが問題を根本的に解決するわけではないこと、を知ってしまっているから。
知ってしまっているからどうだ、と云うわけではない、と云う考え方もできる。だからと云って自分のポジションに直接関連しない問題点については自分のdutyではない、と云うスタンスもとり得る。でも、菊池誠はそうしない。視野に入った問題点はすべて問題点として把握し、視野の中に置いたままで論を進めようとする。
これは誠実さ、と云うような次元で語られるような事柄ではないのだろう。そこまで引き受けて考えるのが、菊池誠のスタンスだ、と云うだけのことだ。

もちろんそう云うスタンスでいる限り、問題の裾野はとめどなく広がったものとして認識されることにもなるし、総体として明解な回答に結びつけることも難しくなる。これは、仕方のないことだ。二分法的な明瞭さが希求される社会と云うものが問題の根源のひとつであり、そのこと自体も議論の対象とされているのだから。
だからこの書籍は、FSMさんがまずは、悩もうと云うエントリでお書きになっているように、ニセ科学批判の射程が潜在的にはものすごく広いことさえ伝えることができて、そのこと自体を問題提議として提出することができれば、そのdutyを果たしたことになる、と思う。議論はまだ多分道半ばなのだし、分かりやすい簡単な回答は求められていないのだから。