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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

街を回遊する

有体に云ってこれから書くことは書評になっていない、と思う。なのでカテゴリを「ひと/本」にしない(ただし書く内容は、この本のなかで著者が主張していることと濃厚に関連している)。

「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ (講談社現代新書)

「街的」ということ――お好み焼き屋は街の学校だ (講談社現代新書)

  • 作者: 江 弘毅
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/08/18
  • メディア: 新書
 

このあいだの日曜日は天気がよくて温かくて、なので街に出た(いや、寒くても出るのだけど)。

とりあえず昼食時にはつれあいが一緒だったので、彼女の意見を容れてハンバーガー。で、一番町の南半分でハンバーガーと云えばカバの看板のビッグマウス(斜向かいのマクドナルドなんか間違っても行っちゃだめ)。ビールとでもワインとでも合わせられるし、負けない。いもをぶったぎって揚げてケチャップを添えたフレンチフライもそのまんま。
創業1980年と云えば営業四半世紀を超えたまぁまぁそこそこの老舗なのだけれど、それでもこの店は分家。本家のほそやのサンドは還暦を目の前に(店主じゃなくて、店が)ハンバーガー販売100万個を達成していまなお現役、一番町北半分のハンバーガー屋の王様として絶賛継続君臨中(いや、正確には国分町だけどね)。

友人の銀細工師の店にちょいとあいさつがてら立ち寄って、つれあいの買い物に付き合って、雑貨屋のフレンチ・ブルドッグに遊んでもらったりして、それから独自行動開始。まずは眼鏡の調整にalookへ。仙台にチェーン店がふたつ、こればっかりはコストパフォーマンスの関係もあって(しかも眼鏡と云っても単車に乗るときに掛けることを主目的とした色付きシェードなので)地場の老舗の高級な眼鏡屋に世話になるような種類の話ではない。ついでにABC Martで靴を物色。靴については信用できる地場の店がつぶれたり駅前の再開発とやらで閉店中だったりするので選択の余地なし。

それから一番町で唯一頑張っているローカル資本の書店へ。上掲の本ともう一冊、文庫本を購入。しかしジュンク堂とかあゆみブックスに慣れてくると、昔ながらの本屋さんはなんか探しづらいなぁ。最近書籍の配置を変えたこともあって、メガ書店と比較するとけして広くはない店内をうろうろ。

で、ちょいと日が傾きかけた辺りで、横丁のアジア食堂へ。エスニック料理屋、と云うほどのしゃらくさいマーケティング臭のない、ざっかけないつくり。出す料理もタイ、ベトナムインドネシアにまたがっている(おなじ店でカオパットとナシゴレンとコムガーが全部出てくる)。適当かと云うとそんなこともないのだけど、本格的かと云うとまぁそれも違うだろう。カウンターに座って日のあるうちからアンカービール。
前は日曜日は閉めてましたよね、と聞くと、どうしても日曜日に営業したくて休みを火曜日に移したんですよ、と仕込みの包丁を動かしながら白髪の店主。東京辺りだとタイ料理とかベトナム料理とか細分化されてるのがふつうなんだけど、ここは前からいろんなものを出してますよねぇ、とぼく。そうじゃないと仙台じゃなかなかねぇ、でも今年はインドネシアの料理を増やそうかと思ってて、と店主。ふむふむ、ちょっと期待。とりあえずビンタンを追加で所望。早くもっとあったかくなって、おもてにテーブルを出したいですね、と店主。

さて、仙台は街か、田舎か。
自宅から徒歩20分の範囲を超えないこの日のぼくの行動だけでも、その両方にまたがっている。

この街には関西の古い街や港町にあるような、濃密な文化の積み重ねはない。
もともとの仙台の中心、芭蕉の辻からひとブロック東。藤崎デパートの面する、一番町と中央通の交差点を中心とした、仙台は「点」のまちだ。このポイントから、仙台は等高線的にひろがっていく(ただ、ピークは感覚的には少しずつ仙台駅に向かって東に移動しつつある)。裾野にそれぞれ違ったカラーを帯びながら。

ぼくのフランチャイズであるところの南側は比較的「街的」で、それは老舗が残っていると云うことでもあるし(このエリアの特色、と云うほどではないけれど)、自分たちが商いたいと思ったものを商おうとして小さな店を店を出すひとたちがけっこう見受けられる、と云うのもその色合いを醸し出す要因となっている、と思う。
店舗に並ぶ商品を選んだ誰か、の、顔が見えること。食べたり呑んだりするものをつくってくれるひと、の、顔が見えること。その誰かの感受性と、それとは違う自分の感受性がぶつかったりすること。どこぞの本部のマーケターによる指示も、COO監修のマニュアルもないところから、なにかしらクリエイティビティのようなものが生じてくること。

そう云うものの中を泳ぐ。ぼくにとってそれが街暮らしの醍醐味だし、だからぼくは街外れ(≠郊外の入り口)に住んでいる。