Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

正義を運用する

福耳先生の「正義商品」としての「障害」と云うエントリを少し前に読んで、でもってどうにもなんだか投げかけられている問いを消化できなくて、みたいな感じが続いていて。

エントリの主旨とは違う話になるけれど、多分ひとつ云えるんだろうと思うのは、善と云う概念をコントロールできて、任意にその場の「空気」に適用する技術があれば、すごく儲かるんだろうな、ってこと。

そうするために手っ取り早いのは、おそらくコントロールしやすい「善の基準」のようなものを準備することだろう。ターゲット層にアクションを起こさせる(消費させる)にあたって、悩んだり考えこんだりしなくてもすむような、分かりやすい基準。

「愛と感謝はすばらしいことでしょう? そう思わないんですかあなたは」
「科学的にも証明されてるから真理なんですよ。この結晶の美しさが分かりませんか」
「非科学的だって? いや、大事なのは科学的かどうかじゃないでしょ」
「現代の科学万能の風潮に毒されて、あなたは感じることを忘れてるんじゃないですか」
「ごちゃごちゃ考えないで、いい話でしょ。あなたにはわからないんですか」

実に便利だ。うまく使えば金だって儲かるだろうし、ひとだって殺せるだろう。