Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

歩ける範囲 –続き

まぁこちらのエントリの続きなんだけど。で、以前におなじような内容のエントリを書いたこともあるんだけど。

いろいろなものを探しながら歩いて、いろいろなものを見つけるのが昔から好きで。店とか、食べもの屋とか、カフェとか。住んだ街でも、はじめて訪れた街でも。どこに行っても、とにかくまず歩いてしまう。

けっこう長い間三鷹の駅前に住んでいて、半ば地域住民と化していた。
三鷹の駅前には、当時のぼくに必要なものは概ねあった。本屋も、レコード屋も、食べもの屋も(定食屋からビストロ程度まで)、居酒屋も、バーも。ひどく狭い独身寮に住んでいたこともあって、家に住む、と云うよりは街に住む感覚(友人が来たときなんかは自分の部屋が狭すぎるので、当時いつもいた近所のバーに案内する。夜になっても自分の部屋にいたりすると心配した呑み仲間が電話をかけてくる。あれ? 街じゃなくてバーに住んでいたのか)。

で、その三鷹の街については横丁の裏まで知っている。と云うか、感覚的には「0422・三鷹武蔵野」が居住区域。で、このあたりを知っているひとなら同意してくれると思うけれど、三鷹・武蔵野はとてもWalkableだ。三鷹駅前から玉川上水沿いを楽しく歩いて、井の頭公園を抜けると(ついでに焼き鳥のいせやのもうもうたる煙も抜けると)そこはもう吉祥寺駅南口。途中には日本茶メインの喫茶店とか、うまいから食べにいく種類の自然食レストランとか。
吉祥寺に着いてしまえばもう、徒歩で動ける範囲にほとんどなんでも(実に雑然と)あって。進駐軍向けの酒づくりからキャリアを始めた名うてのバーテンダーのいるバーも、ジャズクラブも、おおきめの本屋も、輸入レコード屋も、エスニック料理屋も。で、そう云うものと住宅や商店街的店舗(八百屋だの肉屋だの)のグラデーションで街が構成されている。

短期間しか住まなかったけれど、福岡も似たニュアンスがある。
ぼくの住んでいたところは西新と云う商店街に隣接していたんだけれど、これが延々と(多分1キロ以上)続く、雑然としながらとても活気のある商店街だった。
で、ここにもなんでもあった。小規模だけどセレクトに矜持のある本屋も、堂々とした独立経営の中古CD屋も、構えは小さいけれどしっかりした品揃えの洋服屋も(ぼくのけっこう好きな小さなアパレルメーカーの服を扱っていた。そこの服はごく最近まで、仙台ではどこでも買えなかった)、ちゃんと居着くことのできるたしかなものを出すバーも、もちろんラーメン屋はいくつも。
もちろん八百屋も肉屋も果物屋も花屋も。それどころじゃない、昼間には「リヤカー部隊」のおばちゃんたちが何人も登場して、野菜だの漬物だのを商っているのだ。
そこを毎週末、はじからはじまで歩く。馴染んだ店を冷やかしたり、路地裏に新しい店を発見したり、面識のある犬たちにあいさつしたり。
もちろん西新は福岡ではローカル商店街に過ぎなくて。堂々たる構えの天神からちょっと雑然としてきて面白くなってくる大名、先鋭的な店が散在する今泉・薬院、大通り沿いだけれどもとびきりの散歩道である赤坂けやき通りまで、中心部はすべてWalkableだ。いわゆる「博多」に属する区域も同様。そして、そこには「住んでいる」ひとたちがいた。

下北沢もよく行った。横浜も好きだった(石川町〜元町の辺りも、長者町も、野毛の界隈も)。どこでも歩いた。そして、いろんなものを見つけた。

そう云う街には、そこで暮らすいろんな人たちの日常から生じるものが、厚く積み重なっているような気がする。そうやって発展した街を、知人との会話の中で「オーガニック」と形容して笑われたけれど、実感としてはそんな感じ。住むひとが、暮らしのなかで堆積された感受性が、大げさに云えば歩ける範囲から生じた文化が生み出した街。
どこぞのデベロッパに勤めるリサーチャーだの、どこぞのチェーンストアに勤めるマーケターだのによるお仕着せではないもので、暮らしを成立させることのできる街。

郊外があまり得意ではなくて。
例えば街中で食事をするときには、そこに昔からある店、そこを選んで新しく開いた店から選ぶことができる(戦後ずっとおなじ場所で営業しているハンバーガー屋とか、最近開店したおにいちゃんひとりでやっているカレー屋とか、友人の友人が経営しているカフェとか)。どこがおいしいだの、なにが食べたいだの、あそこには最近行っていないだの。しかも歩いて行ける範囲で。
ここに選択肢がびっくりドンキーバーミヤンCoCo壱番屋しかなかったら、それはけっこうつまらないことになる、と思う(そう云う店に行かないわけではないし、嫌いなわけではないけれど。でもそう云う環境で育ったら、味覚を発達させることができるんだろうか、みたいにも思う)。しかも結局、駐車場の込み具合で選ぶことになったりするのだ。

さて、仙台はどうか。これからどこに向かうのか。
いまのところは、それほどポジティヴな方向に向かっているようには感じられないのだけれど。街中人口が戻ってくる兆しがあるのと、まだ先だけど地下鉄によって街中への人間の回帰が生じる可能性があるのが、まぁ希望の光なのかな。