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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

エッセンス

以前のエントリで取り上げたものを含め、ぼくの手元にはグンデル・ワヤンの音源が3枚ある(ほかに入手可能なものが日本国内にあるのか、よく分からない)。前に書いたものはタガスのグループのものだけれど、残りの2枚はいずれも皆川厚一さんのお師匠さんであるところの故イ・ワヤン・ロチェン氏率いるスカワティのグループによるもの。

バリ/スカワティのグンデル・ワヤン

バリ/スカワティのグンデル・ワヤン

  • アーティスト: イ・ワヤン・サルゴ,イ・ワヤン・ロチェン,イ・クトゥット・バリッ,イ・クトゥット・スカヤナ
  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2008/07/09
  • メディア: CD
 

 スカワティはウブドと同じギャニャール県にある村なので、結局のところぼくはこの近辺のスタイルの演奏にしか触れていないことになる。ぼくはバリには一度しか行ったことのない、なんと云うか国内安楽椅子愛好家のようなものなのだけれど、そう云うスタンスだと「聴ける音源が特定の地域のスタイルに偏る」と云う問題点はまま生じる(入手の容易なコンテンポラリー・ガムランの音源はほとんどプリアタンの近辺の楽団によるものだ)。でもまぁそこはそれ、ぼくたちの耳に届く前に充分な品質のフィルタリングがなされている、と云うことでもあるんだろうけど。

ゴン・クビャールをオーケストラに、グンデル・ワヤンを室内楽になぞらえるのは簡単だし、的確だと思う。ただ、ガムランには指揮者がいない、と云う点は大きな相違だ。

ゴン・クビャールの楽団は多彩な打楽器で構成される。大きく分けてリズム担当と旋律担当に分かれて、と云う話は以前書いたけれど、それぞれの楽器にはある程度それぞれの役割、持ち場のようなものがある。(交響楽についてよく語られるように)音楽を建築に例えれば、それぞれが持ち場を果たし融け合うことで、全体が音楽として立ち上がる。
ただ、西洋音楽のオーケストラとの相違点は、指揮者がいないこと。全員が全員の音に依存し合い、全体の構成のなかの特定のフェイズにおいてリードし合うことで、全体としての音楽が出来上がる。これは多分本質的な相違ではないんだろうけど、楽団の成立における楽器そのもののプレゼンスの高さ(ある楽団の楽器はすべてその楽団のために調律されているので、楽団同士で相互の楽器の互換性がいっさいない)も併せ、そしてこの「自分の出す音の意義が、つねに他の楽器の音に依存する(だから、その場で生成されている音楽空間を個人個人が完全に把握していなければいけない)」と云う特性が、より楽団をコミュニティそのものの似姿に近づける。

グンデル・ワヤンは楽器1組2台2人、または2組4台4人のみで構成される。だから、この構造がよりはっきりと浮き彫りになる。そこにある音はつねに4声の和音、ユニゾン、コテカンでの掛け合いだ。そしてその4人がだれひとり欠けても、埋没しても、突出しても音楽が成立しない。つねに他の音を聞き、自分の音とほかの音を寄り添わせる作業が、その演奏には必須になる。

そして、聴いてもらえればもちろんお分かりいただけるけれど、その演奏作業は慎重にそろりそろりと行われるものではない。互いに互いを挑発し合うように、演奏はドライブし、エスカレートしていく。上に掲げたアルバムでは、とりわけ5曲目が凄まじい。
4人全員が自分の持ち場を客観的に掴み、他の3人の音を把握し、選んだ音を鳴らすことによってさらにそこから「音楽」を紡ぎ出す。リズムも、メロディも、ハーモニーも。メロディひとつ取っても、コテカンと云う技法のために自分の出す音単体では成立しないような、「音楽の空間」そのものを生み出す仕組み。そこから生じるテンションと、なんと云うか、音楽そのもののエッセンスのようなきらびやかな響き。

このアルバムは、皆川厚一さんがすでにロチェン師の弟子になってから録音されたもの。きっと無数にあるだろうスカワティのグループのレパートリーから、その特徴や本質をできるだけ網羅できるよう選曲され、録音されたものだと思う。ブックレットの皆川さんの解説もインサイダーとしての視点が存在する分リアルであり、分かりやすい。

ちなみにぼくが持っているグンデル・ワヤンの録音最後の一枚は、こちらになる。

妖炎のグンデル/デワ・ルチ

妖炎のグンデル/デワ・ルチ

  • アーティスト: イ・ワヤン・ウィジャ,イ・ワヤン・ロチェン,イ・マデ・ムディ,イ・クトゥト・アグス・パルタ,グンデル・ワヤン,イ・ワヤン・ナルタ
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2000/08/02
  • メディア: CD
 

これもロチェン師率いるスカワティのグループだけれど、日本国内におけるワヤン・クリッの公演時のライブ録音になる。実際の影絵芝居を録音しているので、上のアルバムと違って芝居の進行通りに音楽が進む(ダランは皆川さんのガムラン武者修行―音の宝島バリ暮らしにも登場するウィジャ氏)。こちらの録音の方が古い(解説は弟子入り以前の皆川さん)けれど、音質的には申し分なく楽しめる。どちらがお勧めと云うことはないので、もし聴いてみよう、と云う気持になった方は、この2枚のアルバムの性格の違いでセレクトするのがいいと思う。