Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ちょっと分かった

黒猫亭さんの反科学の情熱と云うエントリを読んで、なんだかちょいと蒙が啓かれたような気分になっている。個人的な事柄に属する部分なので、「余談」カテゴリに分類。

ニセ科学批判」批判について、どうしてぼくが時間とエントリを費やして考えているんだろう、と少し自分で不思議だった。

自分の言説に対立するものだから反論を行うのは当然、と云う感覚は実はぼくにはあまりなくて、そこに感じているのは所謂「人体の70%は水分」理論と同種のもので。感覚としてはそこが曖昧だったのだけれど。

そういうふうに考えていくと、たとえば容易くこの種の素人議論に陥るニセ科学信奉者やニセ科学批判批判者の主張というのは、それ自体不合理な誤解や思い附きによって構築された意見ではないかという疑問が生じてくるわけである。正しいことを言っているのだが議論のテクニックや語彙に問題があるとか、科学的専門知識がないから科学者を言い負かせないという議論の実態論の問題ではなく、そもそもその主張自体に合理的に妥当な理路がないのではないかという話になってくるわけである。

そこにぼくが見ていたのは、その種の主張を反省なく行える心性で。と云うことは、実際のところそれはぼくがニセ科学的言説そのものに見いだしているものと(ぼくの角度からすると)ほぼ同種のものだ、と云うことで。

敵の敵は味方、ではないけれど、敢えて云うならこの場合「敵の味方は敵」だった、ということになるのか。コミットしているのが「ニセ科学的言説」であるか、「反ニセ科学的言説」であるか、の違いだけで、ぼくはその背景にあって共通する心性に対して批判を行っていたことになる。

だからなんだ、と云うと、自分のなかで(意外な部分で)整合した、と云うだけなんだけれど。