Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ミスティフィカシオン

前のエントリのコメント欄でnewKamerさんと少しお話ししていたことなんだけど、ここでいわゆる「ビリーバー」のひとの言説に言及することはほとんどなくなっている。これは単純に有効性の判断で。
でも、例えばニセ科学を「信じるべき」と主張しているひとや、それを商売に絡めているひとに対しては、信じている・信じていないを問わず言及はやめていない。それは語るひとの個人的な信条、と云う水準を越えるものなので。例えばcocokara55さんの年に一度の本音トーク;緑家と他のお店の違いなどと云うエントリ。

詳細を取り上げて言及しようと思ったけど、なんと云うかいちいちつっこんでもきりがない気がするのでやめにする。と云うかやたらと忙しい師走の候みなさま如何お過ごしでしょうか、みたいな。なので感想を3点のみ。

  1. 権威ありげな科学や宗教の言葉を適当にパッチワークして、意味を恣意的にぼやかしてミスティフィカシオンを狙う、と云う点で、ニセ科学商売のみなさんと「ニセ科学批判」批判者のみなさんはとてもよく似ていらっしゃる(当たり前か)
  2. そもそも、なにを論じているのか読んでいる人間に理解できるように書いていないという点でも同上(理解されると「なにも論じていない」と云うのがあからさまになってまずいからだと思う)
  3. と云うかこれ、薬事法的にやばいんじゃないだろうか(ネット上の言説と薬事法については、ぼくもよく読ませていただいているYamadaさんの超有名ブログのWEB制作のスキルに薬事法と医師法の知識は必要ではないかという提案と云うエントリに詳しい)

最近、「ニセ科学を批判する動機」と云うのが時折話題にのぼる。でも、例えばぼくは大事な自分のおばあちゃんがこの店のヒーリングフーでごはんをつくってくれて、ぼくを健康にしてくれるエネルギーとやらを与えようとしてくれたりしたら、とても悲しい気分になる。まずはそう云う話だったりもするのだけど。