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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

批判されること

こしだすいさんの●ニセ科学批判批判?に思うことと云うエントリにぼくがお返事して、うちのコメント欄やこしださんの追加エントリを含めてなんだかなかなかいろいろと勉強になる展開になった。この流れに対してapjさんの今の「ニセ科学批判批判」が使えないのはなぜだろう?と云うエントリや、さらにそれをフォローするかたちになるdlitさんの「いっちょ有効なニセ科学批判批判論でも考えてみるか→すぐに挫折」から考えたことと云うエントリがあがっている。その辺りからのぼくの見解。

有意義な「ニセ科学批判」批判と云うのは、ニセ科学批判を継続的に行っている側からするとむしろ歓迎すべきもので。

結局のところ、現時点であちこちで見られる「ニセ科学批判」批判は、単純にニセ科学を商売にしているので批判されたらカモを引っ掛けられなくて儲けられない、と云う理由で行われているものか、あるいは単にニセ科学を批判している人間に何とかして嫌がらせをして議論を混乱させたい(動機は不明)というだけのものか、大通りで大声で放言していただけなのにけちをつけるとは何事かみたいに逆恨みしているか、概ねどれかでしかない。そんなものが有効な批判になるわけがない。

で、実際のところはニセ科学を批判している人間の間でも立ち位置も考え方も違うので、互いに批判が生じるのは日常だし(例えばあれほど話題になった芹沢さんの覚えておきたい、ニセ科学リストに対して、その試みに留保なしで賛同したひとは継続的にニセ科学を批判している論者には知っている限りひとりもいなかった)、議論と考え方の擦り合わせの結果まるきり当初と違う結論になることも珍しくなくて。

他の角度からの視点を提示されて、自分の視野に入っていなかったものを突きつけられる。そう云う意味で現時点では、ぼくに対する一番痛い批判をくれるのはやっぱり「ニセ科学批判者」であり、なので正直云うとニセ科学批判の言説を行う際に一番怖いのは自分のところのコメント欄と、そこの常連コメンテーターのみなさんだったりするのだった(逃げ場がないし)。

# 余談だけど、こしだすいさんの件のエントリからリンクの張られたぼくのエントリを経由してoruteさんのところを覗きに云っている方々が若干いらっしゃるようで、リファラを見たらしいoruteさんが勇ましく吹け上がっていらっしゃって面白い(今度はイナゴって言葉を覚えたみたい)。大してアクセス増に貢献しているとは思えないけど、よっぽどうれしかったんだろうなぁ。