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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

荒川静香の解説(フィギュアスケート)

いつもお読みいただいている方には特に関係しない話なのだけれど、今年の一連のフィギュアスケート関連のエントリは、「流行りっぽい話題を扱った場合のアクセス動向」を見る目的もあって。全体に変に抽象的なタイトルのエントリが多いこのブログで、例外的に大会名そのままのタイトルになっているのはそう云う意図もあったりする。
とまぁそれはそれとして昨日も今年のGPファイナルについて触れたのだけれど、これに関連してkurimaxさんの伊藤みどりと荒川静香の解説の違いと云うエントリを読んだ。

いくつかフィギュアスケートに触れているブログを見ると、荒川静香の解説に対する不評が目立つ。真央を差別しているだの、真央のときだけ小姑みたいに粗探ししているだの。
やれやれ、「消費者」のみなさんは目の付け所が違う。

荒川静香は現行の採点方式(ひとつひとつの技に対してレベルを設けて細かく採点)で活躍した唯一の解説者。しかも五輪で勝ってるので選手やコーチ以外では圧倒的に正しい存在で、アナも誰も荒川の実績や着眼点には突っ込めない。

そうなのだ。新採点で点数を取って勝ち、しかも観客を魅了する、と云うことを成し遂げたフィギュアスケート解説者は、日本には荒川静香を除いてひとりもいない。それがほんとうはどう云うことなのか、を知っている、唯一の解説者なのだ。

いまのフィギュアスケートは「すごい」ことをやっても勝てない。要求される要素をすべて高水準でこなして、さらにその上で「美しさ」が要求される競技だ。正直ぼくたち素人はその最後の「美しさ」だけで満足するけれど(復活してくれ太田由希奈)、それでは「勝てない」。
そして、真央にとって「勝つ」と云うことは、「世界一になる」と云うことだ。

マスコミは情緒をパッケージして販売する。消費者の皆さんはその情緒を購入して、安心して気楽に「感動する」。その安物の「感動」はマスメディアの指揮どおりにいとも簡単にバッシングに反転し、例えばトリノオリンピック前後で安藤美姫をひねり潰した。フィギュアスケートの世界で戦う彼ら、彼女らは、この国の「ファン」たちを絶対に信用してはいけない。それはマスメディアの煽動ですぐさま一丸となって牙を向く移り気な盲目の集団だ

浅田真央が、高橋大輔が、1位と評価された演技のあとで納得のいかない表情をしたり、涙をこぼしたりする。自分と戦うこと、ひとつひとつの点数を積み重ねること、そしてその場にいる審判と観客に演技を通じて訴えかけることが、彼ら彼女らにできる、そして信じられる唯一の行動だからだ。マスメディア(およびその軽佻浮薄さの象徴としての松岡修造)も、テレビの前の観客も、本当はだれひとりとして味方ではない。安藤美姫の心をいったんは打ち砕いた、伊藤みどりに「銀メダルでごめんなさい」と口にさせてしまったこの国の感動したがりの消費者たちの仕打ちを、彼ら彼女らはまのあたりにしているはずだ。

そしてそのことを、荒川静香はだれよりも知るひとりだ。長野五輪で抜擢されて注目を集め、成果を残せずにマスメディアと善良な消費者のみなさんに叩き潰され、そこから自力で世界の頂点にまで這い上がった「氷の姫君」は、結果を残せないフィギュアスケート選手に対してこの国のマスメディアと消費者たちがどんな仕打ちをするのかをすべて知っている。真央に向かう声援が失望に変わるときに、どんなむごい目に彼女が遭わされるのか、を知っているのだ(荒川静香はマスコミの豹変を卒論のテーマにまでしている。過酷な経験がそこまで彼女を強靭にしたわけだ)。

村主章枝も、荒川静香も、最近では安藤美姫も、マスメディアと善良なる消費者のみなさんの鋭利な牙にえぐられてきた。浅田真央が同じ境遇に陥らないためには、勝ち続けるしかない。演技のなかで荒川静香に指摘されるようなミスは、ひとつも許されないのだ。
そんなふうに勝ち続けることのできた選手は、まだひとりもいないのだけれど(いや、プルシェンコがこのまま引退すれば別だけれど)。

新採点になってから、世界を狙う選手のプログラムは要素でぱんぱんになっている。ひとつのミスを補うためにその場で当初の予定にない要素を追加することは事実上不可能だ(さらに、真央はそういった応用を利かせることが得意な選手とは云えない)。世界一には、プログラムの最初から最後まで高く評価される要素を詰め込むことでしか辿りつけないのだ。トリプルアクセルをあれだけ決めて見せる中野友加里に、あの採点は不当に低く見えるけれど(実際のところぼくも納得できているわけではないけれど)、でもいまの採点方式の現実ではあるのだ。

その意味で、本当に真央の(そして安藤美姫の)技術面・心理面の両方を理解できるのは、リンクの外には荒川静香しかいない。可愛い真央ちゃんが勝てなかったときに、その理由を実感を持って理解でき、指摘できる解説者は、この国にはほかにはいない。競技においていまのフィギュアスケート選手に必要なものはなんなのか、を、荒川静香は誰よりも知っているのだ。
・・・・・・なんてことは少しだけ考えればわかるはずなのに、わが国の消費者のみなさんにはそれだけ考える手間さえ惜しいらしい。で、マスメディアも「感動はほしいけど考えるのはいや」な消費者の皆さんのほうが御しやすいんだろうなぁ。かくして、フィギュアスケート人気も流行として消費されていくんだろう。