Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ぼくたちのコモンセンス

りほさんの科学至上主義の気持ち悪さと云うエントリを読んだ。この方はマクロビオティックを実践する環境で育って、そのことを主題にブログを運営されている。

しかし、「科学的に正しくないからダメ」というのは、なんだか排他的な気がして、嫌な気がするのです。


それは、「マクロビオティックは真実だ」と言って、やっていない人を見下すのと、意識のレベルでは、全く同じことです。

科学は有用だ。それは間違いない。それは単に「実用性が高い」と云うだけの話じゃなくて、人間が「考えること」を積み重ねるために見いだした、うまく機能する方法のひとつであって。

それでも、それがどれだけ優れていても、人間からは呪術的な発想は取り去れないし、取り去るべきだとも思わない。使う場所と使い方を間違えるべきではない、と云うだけの話で、それは科学でも呪術でも同じことだ。

科学的に明らかに間違っているのに、「科学的に効果があると証明された」というフリをして商品を売る、人を騙して金儲けをする商業主義的な疑似科学は、好きではありません。


だけど、科学でわかっていないこともあるだろうし、科学とは違った説明の仕方で、物事を説明する自由はあるはずです。


別に、互いを排斥しあう必要は、ありません。

これは少し前に言及した(元)thereseさんの発想にも通じるものだと思う。

人間はそもそも不合理に考えるもので。技術開発者さんの云う「人間の基本仕様」論にも通じるのだけれど、その不合理さは殊更に貶めるべきものだとは思わない。ただし、その不合理さに目をつぶって諦める必要もなくて。その不合理さの生み出す弊害を回避するために、人間の生み出したいまのところ最大のツールとして、科学が存在するのだから。

「科学的におかしいから間違っているからダメ」というような態度の人は、実際は科学者にはそれほどいなくて、科学者ではない人に多いのではないかと思ったりもします。


科学者というのは、どれほど科学が物事を説明できていないかを知っている人達なのですから。

これはきっと、そのとおりなのだろう、と思う。
少なくとも、ニセ科学批判の前線にいま立っている科学者に、ぼくは科学至上主義者を知らない。