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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ニセ科学批判は流行なんかしていない

例えばここで「世間」と云うカテゴリに分類されているエントリは、現時点で124。これはおおむね「ニセ科学」に関連することを書いたものだ。このカテゴリのエントリを最初に書いたのは去年の10月なので、ほぼ1年ほど、折りに触れてエントリを追加してきたことになる。

でも個別のエントリを見ると、例外的にアクセスの多いものでもページビューで3000程度。データが取れないので推測するしかないけど、ユニークページビューは多く見積もってもその半分以下に留まると思う。
1年間続けてみても、その程度のリーチしかないのだ。

どれだけのひとがニセ科学批判を行っているのかはわからない。ここで「世間」カテゴリのエントリにコメントを複数回くれた方は、多分20人前後くらいか。
ぼくのエントリはたいていビリーバー向けでも、ビリーバー予備軍向けでもなくて、ニセ科学だとぼくが認識した事柄について「信じるべきだ」と積極的に発信しているものについて書かれている。「世間」カテゴリのエントリがすべて誰かに言及したものではないにしても、要するに「ニセ科学批判者」は圧倒的なマイノリティだったりするわけだ。

ここにリーチがないのは仕方がない。それはぼくの問題提起の質の低さとか、文章の稚拙さとか、論理の幼稚さの結果でもあるんだろう。他のブログのエントリに言及するとき、ぼくは基本的に同じ目線の高さで書こうとしてきた。そこにはメタなレイヤーでの洗練された論理もないし、言及先を華麗に斬る切れ味もない。それはまぁぼく自身の知的レベルにも起因するものだし、そのことを指摘されると返す言葉もない(前や前の前のエントリで書いた「力不足」と云うのはこの部分の話だ)。自分で、できる、実効性を発揮しうる、と思うことをしてきただけだ。こう云うベタベタなレイヤーでの言説に意味がない、とぼくは思っていないのだけど、違う意見の方もいらっしゃるだろう。

ただ間違いなく云えるのは、あることについて言及するにあたって泥縄でも必死に情報を集め、回らない寝惚け頭を絞って噛み砕き、ひとつの自分の見解として不細工でもかたちに纏めるのは、誰にでもできると云う証明にはなっているはずだと云うこと。何度か書いているけれど、「poohに分かる程度のことは誰にでも分かる」はずなのだ。

でも、例えばここと同じようなスタンスで継続的にニセ科学に対して言及しているブログはわずかしかない。
増えてもいない。

それはそうだろうと思う。ぼくの場合は議論の水準を引き上げてくれるコメンテーターの方々がいるのでまだ救われているけれど(だからリーチを上げようと云う努力はしているけれど)、それでもここのように自分の無様さを晒すようなことを積極的にしようとは普通は思わないだろう。
ぼくみたいな間抜けの言説を批評したり、アイロニーを含んだメタな突っ込みをしているほうが、それはもちろん楽しいだろうし、(少なくともぼくよりは)かっこいい。そのことは理解できる。

ニセ科学批判は流行なんかしてない。多分今後もしない。