Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

Gifted

こちらこちらで言及した、津村ゆかりさんのところでの議論に関連して、TsumuRiさんの知識の絶対量と態度の問題と云うエントリを読んだ。
各論的にはお書きのことにまるきり同意と云うわけではないのだけれど、例えばぼくと比べれば明解な立ち位置の違いが分かるのでまぁそこはそことして、津村さんのところでの議論の本質の部分に関わる重要な示唆があったと感じた。

結局、「ニセ科学」やそれを利用した商法に騙されて泣く人が出ないようにするためには、知識のある人が地味な活動をして、一般市民が個人で判断、自衛できるようにするしかないのでしょうな。

このこと自体には完全に同意ではないのだけれど、とりあえず津村さんのところで議論が大きくなったのは、明示はされなかったにしろ事実上津村さんが知識のある人が地味な活動をして、一般市民が個人で判断、自衛できるようにすることを曖昧ながらも否定したことにある、と思う。

誰もがこの知識のある人であり得る。それぞれの分野で。そして、「知識のあるひとはそのことを社会に役立てるべきだ」と云う規範も存在する(役立てる、と云うことはどう云うことなのか、みたいな議論はもちろんあるだろうけど、ともかくも規範そのものは存在する)。その規範を、各論的な理由を持って来て否定するのは順序が違う、と云うことだ。

とりあえずそれほどのものがGiftされなかった一般市民としては、Giftされた方には敬意を持って相応の振る舞いを期待したいわけで。その期待にどう応えるか(規範をどれだけ重んじるか)はもちろんそれぞれの方の考え方だし、それは充分に尊重されてしかるべきだと思うけれど、それは規範そのものを否定することとは違う。規範そのものを否定することは、受けうる(あるいは現在受けている)敬意を根底から否定することだから。