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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ネットの「途中経過」 (「フラット革命」佐々木 俊尚)

本が好き! プロジェクトでいただきました。

フラット革命

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livedoor BOOKS
書評/IT・Web

ぼくが佐々木俊尚の単著を読むのは多分グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する以来2冊目。ただし、佐々木氏がフリーのジャーナリストとしてネット上に発表した記事に触れる機会は以前から結構頻繁にある。ぼくのように仕事がネットと絡む人間だけではなくて、ネットと云うものそのものに関心を持つひとなら誰でもこの方の文章を読む機会は多いと思う。

既存のマスメディアから活躍の軸足をネットに移したジャーナリストは少なくない。でも、佐々木氏はそのなかでも、なんと云うか軸のぶれが少ない気がする。取材や記述の手法はかつての記者時代に学んだ技術をベースにしているのだろうけれど(つまりそれは書籍と云う形態をとったときに違和感がとても少なく、読みやすい著述方法を知っていると云うことでもあって)、立ち位置は「ネット側」にも「マスメディア側」にも位置しない。どちらかに感情的に肩入れすることなく、現状にある個々の現象を的確に、ある強度を保って分析していく。

いまかりそめに「ネット側」と「マスメディア側」と云う書き方をしたけれど、実際のところこの二項対立的な図式には無理がある。「ネット側」に属するものはひとつのスタンスでまとめきれるものではないからだ(多分、この図式を設定しがちな「マスメディア側」の言説に触れたときに、なんと云うか絶大な「わかってないな感」を感じるのは、その図式がそもそも何かを語りうるほどの意味を持たないことから来るのだと思う)。

JUNETを使っていたひとたち。パソコン通信を活用していたひとたち。Win95の登場に前後してインターネットに触れたひとたち(ぼくもここ。自宅にPC-ATがあったことはないけれど)。ネットを使い始めた最初から2ちゃんねるが存在したひとたち。mixiに呼ばれたことがネットの日用品化のとばぐちとなったひとたち。
ネットを私的なコミュニケーションツールとして使うこと。仕事における情報ツールとして使うこと。ビジネスの手段として使うこと。
すべてのひとの立ち位置が違う。ネットと云うものをどう捉えているか、はその立ち位置によってみんなちがう。既存の仕組みと特権と利権と云う共通した基盤を持つマスメディア側から見れば、自分たちと別の基盤を持つ情報インフラとして「ネット側」を規定することは可能かもしれないけれど、その当の「ネット側」から見ればマスメディア側は(極めて有力で強い影響力を保持しているとはいえ)同じプレイヤーとして位置づけられる。対立軸が設定できないのだ。

そう云う意味で、ネットは最初からフラットなものだ。それぞれのプレイヤーが、おなじ地平に立っている。ただし、当然ながらこれは「平等」は意味しても、「等質」は意味しない。ひとりひとりのプレイヤーが持つスキルや考え方はすべて違う。そこでは前提としての権威は存在しない(いや、ほんとうは存在するのだけれど、そこはユーザとしての視点からは日常的には可視化されない)。

この本は4章からなる。ひどく大雑把な括りで恐縮だけれども、それぞれの章で佐々木氏は「ネットとマスメディアの軋轢」「ネットが個人にもたらした変容」「ネットが社会におけるひととひとの関係にもたらしつつある変容」「変容の果ての来るべき可能性と、『公共性』」について、極めて具体的な事例に基づいて書く。事例に基づいて書いているがゆえに、実はこの書物は「総論」としては読み辛く、むしろ「現在ネットがどうなっているか、それが社会をどう変えつつあるかについての途中経過報告」と云うおもむきが強い(いや、これはぼくが取り上げられている事例の多くを、その経緯を含めすでに知っていたことからくるバイアスの入った感想かもしれないけど)。ただし、どの事例も当然ながら個別の紹介に終わることはなくて、そこには(多分佐々木氏ならではと云っても構わない)ゆるぎない定点からの分析と問題の本質の抽出がある。

そう云うわけでとても興味深く読ませてもらったのだけれど、はてこの本を読むべきは誰なのか、と考えるとちょっと分からなくなる。マスメディア側のステークホルダーたちは当然望ましい読み手の筆頭にあがるだろう。ぼくみたいな仕事の絡む立場の人間もまぁ対象になると思う。
と云うか、いわゆる「メディア・リテラシー」とやらを得ようと云う意識のあるひとにとっては誰にでも読む価値のある本だと思うし、具体的な記述の多さからくる読みやすさは内容の理解のしやすさに繋がっている。とてもお薦めしやすいのだけれど、でもそうなるとこの本のハードカバーと云う版型は如何なものだろう(いや、とても瀟洒な装丁ではあるんだけど)。ここに書かれているのはあくまでも現時点でのダイナミズムであって、それが来年の今頃にどうなっているのかは分からないのだから。

ところで理系白書関連といい、メディア・バイアスの松永氏といい、毎日新聞と云うところは多士済々と云うかなんと云うか、面白いところであるなぁ。