Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

釣られ納め

hasenkaさんには釣られ釣られで大間抜けだったのだけれど、今日私の視点は専門家の学説とかニーチェとかどうでもいいと云うエントリを読んでなんとなく得心がいったので、ちょっと釣られ納めしておこう。

要するにこの方の云いたいことは、タイトルで概ね表現されていて。エントリの本文のなかにも、端的にこの方の発想が見える一文がある。

わかったわかった皆まで言うな。私達が欲しいのは明日の天気だけなんだ、悪かったな。

まぁ要するにそう云うことなのだ。分かりやすく結果が欲しいわけだ。結果だけ。なんかぼくが昔この辺とかこの辺とかで書いたみたいな「おれがなんにも考えなくてもいいように分かりやすく説明しろ」と云う発想をお持ちのわけだ。

見事なもんだ、と思う。それならそれでまぁどこにでもぞろぞろいる「だってひとの身体の70%は水だしぃ」論者の方となにも変わらない。自分で考えて何かを理解しようとする気なんかないから、分かりやすさを持ってこい、ってパターンだ。おいら別段専門家の学説なんて持ち出してない(論じるのに必要な知識は自分で得て、援用しようとするけど)んだけどなぁ。

そう云うわけで、申し訳ない気もするけど「なぜぼくが釣られたのか」と云うところに興味が移っている。多分こちらのコメント欄でちがやまるさんが示唆されているような論述上の技巧にひっかかったと云うことなんだろう。要するにぼくはこの方が何事かを云いたいのだ、と勝手に思い込んでいたわけだ。やれやれ。
まぁ要するにこの方は理由を問わず現代科学へのオルタナティブの存在を主張したくて、で後付けであれこれそれを強化してくれそうな理屈を見境なく並べていたわけだ。とは云え、ぼく同様そのことが見抜けない読者もいらっしゃるだろうから、やっぱりあまり質がいいとは云えないと思う。

釣られついでなのでもうちょっとちゃんと突っ込んでおこうかな。

一般の会社員や個人商店を営んでいる人が日常をどう捉えているかという事に興味があるのだ。

まぁぼくもそうですが。ってえかぼくも一般の会社員だし、日常を捉えることの延長上でニセ科学とそれを成立させる社会情勢について考察してるんですけど。違うように見えるんだろうか。

 で取りあえず受け入れている社会とはどうも余り居心地も良くないし分からない事ばかりで不安も沢山ある。その不安は専門家に委ねている部分の多いが原発もあんな風だし専門家なんて信頼できるのか。

盲目的に信用すべきだ、とはぼくも思わない。どれくらい信用できるのか、自分でちょっと勉強してみれば宜しい。専門家並みに理解しなくても、自分の立ち位置を決めるためのちょっとの努力はできるはずだ。別にその程度なら最先端の知識なんかいらない。「最先端は難しくて分からなくて居心地が悪いからなんかもっとおれに分かりやすい、努力なんかしなくても腑に落ちるようなものを持ってこい」なんて幼稚園に上がる前のぼくちゃんみたいなことを云ってないで、ちょっとだけ本でも読めばいい。

科学は科学、哲学は哲学、宗教は宗教。わけあって分担すれば良いじゃないかという。それでいいのか。もうそんな考えが在り来たりの古い考えに陥っていないかという事をいいたい、て別に自分が考えたわけじゃないけど。

じゃあ新しい考えってなんだい。云ってご覧。ニューエイジかい?

そういった新しいアプローチも必要だなって事。もちろん偽科学が蔓延する事が良い事なわけではないけれどその批判の仕方がちょっと古すぎないかなと危惧するのだ。余りにもステレオタイプというか、

ここで「どう古いか」までは云ってくれないんですよね。そこまで云ってくれれば「主張」になるのに。

ついでに云っておくとニーチェだろうが誰だろうが、普通に暮らすぼくたちにまるきり関係ないようなことを問題にした哲学者ってのはいない(ってかそれじゃ哲学者じゃない)。それを「どうでもいい」と云える視点ってのもまぁ、王様だなぁ。

おまけ。これは私、おバカですが、何か? 偏差値40からのブログの書き方と云うエントリから(なんて気の利いた、洒落たタイトルなんざんしょ)。

世間にはおかしな事を言い出すとああでもないこうでもないと親切な人々が出てきてご指導してくださいます。どうしてみんなそんなに正義感が強いのか。

そこがチラシの裏ではないからです(なにしろはてブ30ユーザoverの大人気ブロガーでいらっしゃいますし)。