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脳と倫理の位置づけ (「脳のなかの倫理」ガザニガ)

こちらのエントリのコメント欄で内海さんに薦められて、とても興味深かったので読んでみた。

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

脳のなかの倫理―脳倫理学序説

  • 作者: マイケル・S. ガザニガ
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本
これは面白かった。脳科学者が問題と向き合う、と云うのは、こう云うことだ。

とは云え、これもまた基本的には「問題設定」の書物だ。倫理の問題に対して脳科学がどう云う場所にいることができるか、なんらかの寄与をしうるのか。実際に脳科学が倫理の問題にアプローチするとすれば、その接点たりうるフロンティアはどこにあるのか。著者はそれを文芸の言葉でも、自然科学の言葉でもなく、いわば「一般向け解説書」の言葉で綴る。必要十分な論証と、すんなりと頭に染み込む曖昧さのない言葉で。

ただ、書物の性格上「フロンティアを解説する」だけに留めることはできない。当然ながら作者の立ち位置も問われることになる。この本の中で著者が呈示する基調低音は、脳科学が社会倫理に対してなし得ることについて非常に楽観的なものだ。倫理はその根源を脳のメカニズムに持つ、と主張するものの、その関連性の追及が既存の倫理を根拠づけ明解な判断根拠を得ることに寄与することはあれ、それに破壊的な影響を持つことはない、とする。個別の事象で云うと、例えばスマート・ドラッグによって脳機能をブーストすることは、結果的に社会に対する大きな影響力を持つことはない、と述べる。

この楽観性が妥当かどうかは分からない。
ただ重要なのは、ガザニガがこの本の中で彼の踏まえている学術的フロンティアをきっちりと分かりやすく示したうえで、なおも読むぼくたちに対して、彼の主張が妥当なものかを考える余地を与えていることにある。脳の機能、と云うある絶対的なものと、倫理と云う社会性のなかで(関係性のなかで)生じてくる相対性を持ったもの。このふたつのものの関係について考えるための材料を揃える仕事と、それについて彼自身の結論を出す仕事を、彼はこの著書の中で混同していない。もちろん彼は自分の結論が妥当であることを示す論考を行っているけれど、ぼくたち読者には(彼の示す学術的成果をベースに)そこに疑問を差し挟む余地が与えられている。

文芸の言葉を使った書物には、こういう自由度はない。
ぼくはそこに、自然科学の徒としての著者の、なんと云うか誠実さのようなものを見て取った。

ぼくたちはこの書物から、自然科学のフロンティアと社会にあるものがどのような直接的な接点を持ちうるかと云うことについて多くの示唆を得ることが出来る。それはただそれだけのものかも知れないけれど、そう云う点に置ける地に足の着いた論考は、その成果と称するものを無分別に文芸の言葉で与えてくる書物よりはるかに重要だと思う。
とても面白かった。内海さん、推薦ありがとうございました。