Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

見えない怪物

前に言及した福耳さんのエントリ絡みで、marco11さんの仮想敵を作り対立することで何かが解決したことなんてないと云うエントリを読んだ。

そう、ぼくたちは敵を欲している。裡に渦巻くルサンチマンが、自分たちをこんな状況に叩き込んだ敵を見極めようと、論難しようと、殲滅しようと涎を垂らしている(ぼくたち、と敷衍することはないかも知れない。少なくともぼくはそうだ。そしてそれはぼくだけじゃないことも知っている)。

幸か不幸か。当面敵視する相手を見つけるのに、苦労しない時代。自分の持っていないものを持っている(ように見える)存在は、いつでも敵に仕立て上げることができる。その実質が不可視でも。いや、実体が見え辛いほど、絶対悪として設定するのは容易だ。

 専門化というのは言い換えれば専門領域の不可視化である。そして人間は宿命的に不可視領域をスケープゴートにする傾向がある。

そう、見えないほうが、敵にするには都合がいい。

そうして、ぼくたちのそう云う心理を、ルサンチマンを利用して、にこやかにすり寄ってくる存在があるのだ。
ぼくたちはそう云う笑顔の連中にこそ、気をつけなければいけない。
ぼくたちはそう云う連中に簡単につけ込まれるように、多分、生まれついている。

 社会をデザインする唯一の方法は、ひとつひとつの事象を丹念に分析しつつプランを立てて、一歩一歩、少しずつ自分たちの手で築いていくしかない。

marco11さんのこの言葉に、ぼくは強く共感する。
忘れがちだけれど、そしてこのことを意識するのは辛いことだけれど、でも多分このことは胆に銘じておかなければいけないんだろう、と思う。ぼくは彼のような英雄的な精神の持ち主ではないけれど。