Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

支配されないために

お金がすべてなんかじゃない、と云う価値観で育った。これって世代的なものなのかどうなのか、よく分からないけれど。でも、社会に出て最初に就いた仕事は、機関投資家の立場での外国債券の投資判断だった。まぁ結果論だけど。と云うわけで、fuku33さんの隔たりを見つめながら聞いた「悲愴」を読んだ。

お金が大事だ、なんて今も云いたくないし考えたくない。でもそれよりもなによりも、お金に支配されたくなんかない(それで結果論として、ぼくは結構な締まり屋だったりもする)。

お金は価値のいちばん分かりやすい指標だ。多いか少ないかしかない。誰にでも分かる。田舎の餓鬼にでも、安物のちんぴらにも。誰でもものが云える。そんな深みのかけらもない価値に、自分を支配させるのはごめんだ。

でも、価値は価値でもあって。
生み出すこと、分ち与えること、そこから別の(例えばぼくが軽蔑せずにすむような)価値を生み出すことのために、お金は使うことが出来る。また、他のものの価値を評価する指標としてもとても便利だ。なにしろどんな馬鹿にだって理解できる。
この、どんな馬鹿にだって理解できる価値でありその指標である、と云う点が、お金のほぼ唯一の意味であり、またおろそかに扱ってはいけない理由だと思う。おろそかに扱うと、支配されてしまう(あなたやぼくが、ぼくたちの街が、国が、そして世界が)。

お金を知ること。経済を知ること、経営を知ること。それは、「お金の手下に成り下がらない」ための知恵なんだと思う。もちろん、他に価値観の軸を持たないような下司にとってはどうだか知らないけれど。

ところでアシュケナージは苦手です。ぼくにとっては、やっぱりポリーニ