Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

言葉とニセ科学

三等兵さんに言及したエントリについて、返答をいただいた。パロディ型ニセ科学と、贋作型ニセ科学と云うエントリ。

三等兵さんとぼくは多分問題意識の方向はとても似てるんじゃないかと思うんだけど、実際の対話となるとなぜかすれ違う(笑)。そう云うわけで今回もひょっとすると見当違いの触れ方になるかも、といくらかは思いつつ。

科学言語は、対象について語らなければならない。
水の振る舞いを語るならば「水」について語る。「水を見ている人の心」について語りたいならば、あらかじめ断り書きを入れなければいけない。

もちろん、水が天地を動かす物語を書いても、水が万物を生み出す神話を書いても、それはもちろん本人の自由だ。全然OKだし、むしろ奨励されるべきなのだろう。

だが、「既成の科学言語」のフリをして社会向けのメッセージを打つのは、科学のブランドを悪用した「ただ乗り」であるということを、科学者たちは怒っているわけでありまして。

このご認識に異を唱えるつもりはまるっきりないけど、でもこの「科学と云うブランドのニセもの」は、グッチやロレックスのバッタものとは多少訳が違う。意識している・していないに関わらず、ぼくたちは生活の基盤をこのブランドに対する信頼においているわけで。このブランドの失墜がどれだけの混乱をもたらすのかは、以前書いたとおり。
で、科学者たちは「いくらなんでもこれだけ品質に差があれば、消費者も馬鹿じゃないから見抜くだろう」みたいに考えていたんだけど、そのうちそのブランドのニセ加減が教育者にさえ見抜けない、と云うことが分かって来た。と云うわけで「ニセブランドは潰さねば」と云うことになっているのが現状の(一部の)科学者たちの動きに繋がって来ているのではないかと。
ただ、実際のところはこの動きはまだ自然科学者を中心としたごく一部の科学者にしか見られない、というのが現実ではあるけれど。

まあ、そのメッセージ自体が悪いものだとは言わないけれど、この言い方が異様にミームを広げているのは、聞き手の側の 「反科学的な欲求」 に支えられているからこそ、教育現場で重宝されているんだろうな、と思うわけです。

これには多少異論があって。ぼくは「反科学的な欲求」と云うより、もっと単純な「努力せずに得だけしたい、と云う欲求」に支えられているんではないかと思ったりする。

「水と会話する」とかのパロディ系はどうも宗教道徳に近く、「マイナスイオン」の贋作系はどうも詐欺ビジネスに近いかも。

この辺りについてはぼくも少し書いたよなぁ、と思って探してみた。論点と云うエントリ。自分で引用してみる。

で、ぼく(たち人文系)は、ニセ科学が蔓延する社会的背景とそれを支える心性についてあれこれ考えてきた。で、なんとなく2つのパターンに分類できるように今は思っている。
1)呪術
水からの伝言」や各種の「波動」は、共感呪術の原理にのっとったパターン。言語的な錯誤を含めた「類似の呪術」と「接触の呪術」を、科学的なジャーゴンを使って説明するもの。ホメオパシーもそうか。
で、この種のニセ科学の信奉者は「それってニセ科学だよ」と指摘すると、「科学万能主義の世の中っておかしいと思うの」とか言い出す。誰も科学万能主義なんか信奉してないっちゅーのに。
2)魔法
納豆とかの一連の捏造関連にはこう云う共感呪術的な原理じゃなくて、代わりにそこにあるのは「現世利益」を提供する、まぁ魔法。えっと、クラークの「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」をひっくり返して、「魔法に見えるだろうが高度に発達した科学なのだ(だから信用しろ)」って感じですな。えぇと、これを裏返すと「ゲーム脳」タイプが生じるのかな。基本「信じたいもの」に「理解できないけどオーソライズされているような権威」を与えてあげる手法。
で、このパターンだと「それニセ科学」って云うと怒り出す。「騙された!」って。
もちろんこのパターンのいずれかに分類できるわけではなくて、両方を含むものもある(上記で挙げたものも含め)。どちらをどれだけ含むかでいろいろとニュアンスが違っては来るけれど、その説得力の源泉が「科学的なるものへの信頼(および科学の文脈に乗らないものに対する軽侮、または過剰な重視)」にあることには違いがない。

これからすると、三等兵さんのおっしゃる「パロディ」が前者、「贋作」が後者に当たるかと。

ちなみに、ぼくは前者のほうがより問題としては奥深いと思っている(ので、そちらをとりあげることが多い)。後者は単純に「金に目が眩んで最低限のモラルさえ見失った企業」と「それを見抜けない、これも目先の利益に眼が眩んだ消費者」の問題として片付けることも可能だけど、前者はそもそも社会をなんとかかたちづくっている基盤そのものを揺るがすような問題を孕んでいると思うのだ。