Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「科学ではない」ということ

なんと云うか、このサイトについては前から気にはしていたのだけれど。
今日、びたすいさんのいまいちど認識をあらためる時だと云うエントリを読んだ。この方はホメオパシーの関係者らしいのだけれど、現在日本の主流となっているホメオパシーの一派とは立場を異にするらしい(と云うくらいしか、ざっとエントリを眺めた限りでは読み取れない。だからこの認識は誤解かも知れないけれど、だとすれば誤解を招く記載をされているのはご本人だと思う)。

「いったいホメオパシーのどこがニセ科学なんだ。科学の名のもとにいいかげんなことを金輪際いうな。クズども。そんなんだから科学がカルトと同一視されるんだ。しっかり物をみる目があればこんな愚かな科学を蔑む行為などしないはずだ。科学を信仰にするつもりならおまえらこそニセ科学の徒だろうが!」

クリリンのことかーーーっ!!!

えと、まぁそれはそれとして。基本的にこの方のロジックは、「ホメオパシーは科学ではない。なので、ニセ科学と呼ばれる筋合はない」と云うことのようで。

文句があれば来ればいい。そもそもわたしははじめからホメオパシーは科学ではない(証明されていない)とはっきり主張してきた。

特に誰もびたすいさんのことを名指ししてホメオパシー批判をしている訳ではないのだけど(だからびたすいさんにホメオパシーを代表させて文句を云いにいくやつもいないと思うんだけど)、と云う点を別にしても、「科学ではないからニセ科学ではない」と云うロジックは江本勝氏の主張ととても類似しているのだけれど。「『水からの伝言』はポエムでありファンタジー」ってやつ。

医療と科学、と云うことについては(特にosakaecoさんとNATROMさんの示唆を参考にしながら)少し前からあれこれ考えたりして来た。当面の結論、と云うほどのものではないけれど、それでも医療はその責任を果たすにおいて自然科学をバックボーンにすべきだ、と考えている。医療に求められるものはすべて自然科学が準備してくれるわけではないけれど、それでも自然科学にビルトインされた誠実さとそれゆえの強靭さが、医療の責任の範囲を規定することを可能にしてくれるのだ、と思う。

ホメオパシーが科学でなくとも構わないし、それが治療行為として有効であるなら当然ながらひとつの選択肢としてあり得るだろう。
ここでこれまでホメオパシーに触れずに来たのは、osakaecoさんのエントリであったように、代替医療行為の持ちうる価値を全否定するつもりはないからだ。でも、すべての医療行為がハッピーな結果に終わるとは限らない。もしホメオパシーによる医療行為がアンハッピーな結果に終わった場合、ホメオパスはどんな原則に基づいて、どんな責任の取り方をするんだろう。そこさえはっきりしていれば、「ホメオパシーは科学ではない」としても、一定の水準での信頼を置くことは可能になるかも知れないのだけれど。
それができないのなら、残念ながらホメオパシーは現在の医療と意義を競い合うテーブルにつくことはできない、と思う。テーブルにつくためには少なくとも、以前触れたアロマテラピーに従事する方のスタンスに並ぶだけの現状認識力と誠実さは最低限要求されると思うのだけど。

「ありとあらゆる手法で騙しにかかる極悪非道な連中に対してどれだけ賢く振る舞えるか」です。
この極悪非道な連中はどこにでもいます。ニセ科学を糾弾している勢力の中にも。

クリリンのことかーーーっ!!!

それはそれとして。「誰が」認識を改めるべきだと、この方はお考えなんだろうか。