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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「信じたい」から出発する

結局のところ「水の結晶」関連のものを含むニセ科学がどうして「ニセ科学」なのか、ぼくらがどうしてそう呼ぶのか、と云うことについてはそれほどすんなり伝わるとは限らないようで。と、houbanohaさんの今朝の体重+「水は答えを知っている」を読んでと云うエントリを読んでちょっと感じた。

ニセ科学と云う用語の使い方は菊池教授による定義に準じている。つまり、「科学のように見えて科学ではないもの」であって、決して「科学的に証明されていないため科学とは云えないもの」ではない。
とりあえず「水の結晶」関連の江本勝氏の説が(実験結果に関わらず)成立し得ないことについては、ぼくも以前エントリを書いた
houbanohaさんは、「水は答えを知っている」に記載されている実験と称するものが、その「学説」を充分に説明するものではないことをお分かりになっている。

 50個のサンプルのなかから選び出すという作業がまず問題です、
それをするならば全てのサンプルを発表すべきです、でないと
自分の希望に添ったものを選んでしまうからです。
再現性の問題ですが、同じ実験をして結果がどのようになったかの
記述がありませんでした。このあたりが一番大事なところですので
筆者の姿勢が問われるところです。
この辺が批判を浴びているようです、私も真実を知りたいのでこのような実験結果を
発表してもらいたいものです。

批判を浴びている主要な部分はそこではないのだけれど。上でリンクした以前のエントリでも書いたけれど、「水は答えを知っている」の内容が実験的に証明されるようなことがあれば、ぼくたちの日常生活は崩壊してしまうのだ。

 「全ての物質は影響しあっている」という考えは私も賛成で、もしかしたら結晶の形に
影響を与えているかもしれないとも思うのですが、実験の内容に少し疑問をもちました。

実際のところ、「水の結晶」に関連した江本勝氏由来の言説に対するネット上の批判には、「実験がちゃんとしていないからダメだ」と云うようなものはほとんどないはずだ(そこもダメだ、と云う指摘はもちろんあるが)。でも、この方は、批判はその部分に集中している、と受け取られている。

 ネットで検索してみると批判的な意見も相当あるようです。
私としてはもしこれが本当に科学的に実証されるのならすばらしい事と期待はしているのですが
証明するためには実験の内容をもっと科学的にしなければならないでしょう。

まず、「本当だったらすばらしいことだ」と云う認識から出発しているので、そのように見えるのだろうか(ぼくのところをひとつの典型に、大きな問題点のひとつとして「それがまったくすばらしいことではない」と云うことをほとんどの批判サイトでは主張しているのだが)。このような誤解が生じる理由は、やはり認知的不協和にあるのかなぁ。

この方、なぜご自分が「信じたい」と思うのかについてはお書きになっていない。でもぼくは、なぜそれを「信じたい」と感じるのか、と云うことのほうが大きな問題をはらんでいるような気が、やっぱりするのだ。