Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

責任の負いかた(1)

医学と代替医療、医学とニセ科学の間に横たわる結構複雑な関係については、これまでも少しずつながら触れてきた(osakaecoさんに触発されたこのエントリとか、続いてNATROMさんに言及したこのエントリとか)。当面の結論、と云うかぼくの現時点での認識は、「医学に求められるものは純粋に自然科学的な要素のみではない」「しかし、医療は自然科学に基づいて合理的に行われるべきである。そのことが、医療の果たしうる責任の範疇を決定する」「ある代替医療が医学との同質性を以って任ずるなら、同時に同質の責任も発生する。同質の責任(およびリスク)を担い得ない代替医療は現行の医学にとって代わることはできない」といったところ。
とまぁ、こう云った認識を背景にして、ふたつほど代替医療関係に従事されている方のエントリを読んだ。まずはちゃーりーさん(でいいのかな? プロフィールをあげてらっしゃらない)と云う「気功プロデューサー」の方の気功と科学と疑似科学と云うエントリ。

やはりどうも、この方も「代替医療行為が医学と同水準の効果を主張するには、同水準のリスクと責任を負わなければいけない」と云う部分を曖昧にされているような印象がある。

科学的でないものを科学ぶっている。それが疑似科学になります。疑似科学は、不利な証拠を挙げられていても、それを無視するクセがあります。基本的にはほとんどのことってグレーゾーンなんですね。


冥王星だって疑似科学
飛行機が空を飛ぶのだって疑似科学(ホントです。)

この方は、グレーゾーンがグレーゾーンのまま放置されていて、しかもそれでよしとされているんだと思っているんだろうか。グレーゾーンってのは要するに「探求の途中にあるもの」で、けして放置されているわけではないのだけど。まさか「全部分かってないのなら、『途中まで分かっていて、その先は探求中』でも同じこと」とおっしゃるのではないだろうなぁ。
あと、「冥王星疑似科学」ってなんだそりゃ。単に分類が変わっただけじゃん。惑星に分類されなくなったからといって冥王星がなくなったわけじゃないぞ。あと「仮説」と「疑似科学」は違うのだけどなぁ。

でも、私の意見は別に科学のお墨付きなんていらないんじゃないかと思います。科学が優性の時代は終わったと思います。

あぁ、やっぱり「探求不要」とおっしゃっているのか。「グレーゾーンならみんな一緒」って理屈な訳だ。
でも「科学が優勢の時代」ってなんだ。なにに対して優勢だってんだろ。

はっきりいって、僕は、気功が科学に認めても認められなくてもどうでもいいと思います。

しかも解剖学的という時点でこの話は終わっています。【気は生きているものに流れている】という考えをいきなり無視しています。

瑣末な部分だけどどうなのかなぁ。解剖はモラル上多くの場合死んだ生物を対象に行われるけど(でもぼくは生きたカエルを解剖したことあるぞ)、解剖学は「死んだもの」を理解することを目的とした学問じゃないと思うのだけれど。

だから、科学でないものも人は疑似科学にしようとします。しかし、僕は気功なんて疑似科学にするつもりはないです。科学とはデータをとっていくことです。データは安心を与えてくれるでしょう。でも、僕の体はデータでできていません。僕の病気はデータで生じません。

もしご自分の気功による施術が効かなかった場合、この方はどうされるのだろう。「データでできていない」から「原因不明」で終わりなのかしら。この方の患者はそれで納得するんだろうか。もし病状の悪化が生じても。

そこに、科学も疑似科学も捏造もありません。
必要なのはデータよりも行動です。

意気込みは感じるのだけれど、でも、もしもうまく行かなかった場合に、この方は通常の医療行為と同様、訴訟を受けるリスクも覚悟しているのだろうか。もし訴訟が発生した場合、この方はなにをよりどころに法廷に立つのだろう。データも残していないのなら、何をもってしてご自分の行為の正当性を説明するのだろう。

もちろん、そんな説明の必要がない場合がある。「必ず効く」場合と、「そもそも特に効果がない(ので改善してもしなくてもとりたてて悪影響がない)」場合だ。どちらかなのだろうか。

以前、ハーブショップを経営されているjgnhm075さんのエントリに言及した。現時点では代替医療としてしか認識されていないアロマテラピーをいかにして医学と同水準の責任が負えるだけの高みに至らせるか、と云うことについてjgnhm075さんは心を砕き、またご自分を律しておられた。この志と厳しさは、すべての代替医療従事者に求められるものだと思うのだった。