激しく同感
と云う言葉そのものも相当妙ちきりんで好きだったのだけれど(激しく同意、が正しいのか)、それを「禿同」に縮めたのは誰だったんだろう。よくも悪くも略語って別の命を宿し始めるよなぁ、などなど、くだらないことを作家の深町秋生さんの水から漂う腐臭と云うエントリを読んで思った。
http://www.hado.com/emoto/2005_message.htm(第2次災害は祈りで軽減できる。全世界の皆さん、インド洋沿岸諸国に愛の祈りを捧げましょう!!)
うーん、きっと頑張られたに違いない。講演。悲壮の覚悟で。火事場泥棒にしか見えないけれどな。祈るのはタダだし。
この「タダ」と云うところが多分ポイントで。愛も感謝も美しい言葉遣いも、どれも元手いらずで努力不要。それでいて現世利益が手に入る、と云うのが「水からの伝言」がどうやらこれだけウケている理由らしい、と云うのがだんだん見えて来ているし。そう云う訳で「愛と感謝」を唱えるほうも、利用できるものは利用する、と云う態度をはっきりと示してみせないと、と云うことなんだろう。
でもそれって、ひどく無神経だとも思う。
だが仮に私の地元で地震と津波が起きて、私の街にこの大将が講演しにきたとしたら、速攻で拉致して一寸刻みに肉を切り刻んで、きっと堕ちるであろう地獄がどんなものかを一足先に味わってもらうつもりだ。むろん生き埋め。
まぁこう云う災害を「チャンス」として生かそうって根性があるんだから、その程度のことは覚悟してるんだろうけど。