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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

商品を「見いだす」

昨日のエントリで書評を書いた森 行生さんのヒット商品を最初に買う人たちを読んで、それからfuku33さんの商品企画とはと云うエントリを読んで、漠然と考えたこと。例によって思いつきの、ちょっと安直な結びつけではあるけれど。

森 行生さんの著書の最終章は、「ゲームのルールを変える革新的イノベータ」と云うタイトルになっている。ここで述べられているのは、特定の商品のマーケット(用語として微妙だけど、その商品を販売するときにスコープとする市場、みたいな意味で使う)におけるルールの変化と、その変化をもたらす存在について。
森さんの定義する「イノベータ」は、保有する豊富な情報からある商品を生活に取り入れた場合の実効性と云う観点で評価し、その商品がヒットする先駆となれる層のことを云っているようで、あるマーケットのイノベータはそのマーケットに特化して定義される存在であると同時に、一定の、なんと云うか、「イノベータ的資質」を持つものとして想定されているように読める。だから、「イノベータ」と云うのは特定のマーケットにおける役割であると同時に、その役割を果たす「イノベータ的資質」を持った一定の層のことも示す、と云う定義のようだ。
で、この最終章では、マーケット内のイノベータを「伝統的イノベータ」、マーケット外のイノベータ的資質保有層を「革新的イノベータ」と位置づける。で、革新的イノベータの嗅覚に触れてそこに広まることが「ゲーム(=マーケット)のルール(=価値観)を変える」と云うことについて述べている。

ここまで書いて来たけれど、主題がそこにないこともあってか森 行生さんはこの「イノベータ的資質」の存在についてはこの本の中でまったく述べていない。でも、そのことを想定しないと「革新的イノベータ」の定義が分からなくなる(本の中では、ほかの商品分野のイノベータとされている。でもそれは、イノベータを特定の商品分野のなかでのみ規定される存在と捉えてしまうと、意味をなさない定義だ)。で、それが存在するとして、その資質ってのはどんなものか。おそらく、それは特定のジャンル(さっきから使っているこの「ジャンル」と云うのは領域的なものと云うより、ある「本質」の集まりのようなもの)について、生活実感としてある先鋭化した部分、のことなのではないか。

で、そのことの成功と失敗を分けるのは何なのよ、というと、事後的に社会がついて来るか来ないかということなのかなあ。よくわからんよ。

生活の中でイノベーションしうる部分を掬い上げ、それを課題として分別し、商品作りにまで練り上げることのできる感受性と、その中身をつかみ取って、先駆的に選びとって消費を行うことのできる感受性。これが重要なのではないかなぁ。で、造る側とイノベータ側のフィルターをうまく通過すれば、それはひろく生活の中に行き渡るものとして、ヒット商品になりうるのではなかろうか。

で、この生活実感、と云う部分から考えると、ぼくが市井の人間として結構いつも考えている「地域文化」の話に絡んでくるし、なんかfuku33さんの問題意識にも一部ひっかかってくるような。

どうでもいいけど、「本が好き!」の書評で「20分で読めた」とか「入門書」とかおっしゃっているみなさんは、この辺りまでそんなに手軽に読み込めているのだろうか(ぼくはちょっと苦労した)。読解力にはそれなりに自信があったんだけどなぁ。