Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

文脈と言葉

先のエントリで触れたJosephYoikoさんのエントリのコメント欄を読んでいて思ったこと。

水からの伝言」にしても、主要な問題点のひとつは言葉と云うものにある種固有の価値を付与していることだ、と云うのはこれまで何度か書いて来た。言葉の意味も価値もそれが置かれた文脈に準拠して変わってくるものだ、と云う(言語記号の恣意性、なんて云う概念を持ち出さなくても分かるような)ある種当たり前の話で。

だから、対話には文脈の共有が不可欠になるし、対話する同士がそれを共有するために努力するのは当然の前提になる。そのことをしないで、「オレ定義」の言葉で対話をしようと思っても、その発言の妥当性が相手に受け入れられないのは当たり前だよなぁ、と云うこと。
意外なところで例証を得てしまった(と云うとJosephYoikoさんに失礼に当たるかもしれないけど)。