閉塞「感」
婦祉山 暖雪さんがお書きの水は答えを知っている 江本勝と云うそのものずばりのタイトルのエントリを読んだ。で、ちょっと仕組みが見えた気がした。
この本は、いい。
現代社会の閉塞感を変革する、ものすごい力を持っている。はず。
確かに、「水からの伝言」が受け入れられる背景にはある種の閉塞感があるのかも知れない、と思うことはある。で、「こうすればよくなる」と云う強い主張を受け入れることは、個人の閉塞「感」の解消には役立つのかもしれない、とも思う。
でも、解消すべきは閉塞感そのものではなくて、その閉塞感の原因(それが個人的なものであれ、社会的なものであれ)ではないのだろうかなぁ。閉塞感の解消によって救われることはけして無意味ではないけれど、閉塞感が解消してしまえばその原因の解消には目が向かなくなる可能性が高い訳で。
精神世界の出来事を事実にのっとった科学的な視点で解明するひとつの糸口、第一歩となる本。スゴい本。
仮に「事実にのっとっていなくて」「科学的でない」場合にも、同様の評価を下すことは可能なんだろうか、と云う辺りが最大の問題なんだ、と思う。それでも、感動できるだろうか。虚偽であると云うことを理解したとしても、それでも世界の平和進展に間違いなく役に立ってくれるはずだから。
と云うことが出来るのだろうか。
多くの人は受けた感銘を否定したくはないだろう、と思う。でも、その感銘自体が、記載内容が「科学的な事実である」と云う認識をベースにしたものである以上、その部分が否定されるとすべてが否定されてしまう。でも、それでも一度停止してしまった思考はなかなか動き出そうとしないんだろうなぁ、と思う。
(どうでもいいがどうもこの種の言説はamebloやYahoo! ブログ、楽天広場によく見受けられる気がする。気のせいだろうか)