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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

美醜と道徳

thanks_alwaysさんの言霊のちからと云うエントリを読んだ。まぁなんと云うか非常に典型的な「水からの伝言」系言説なのだけれど。ちなみに「言霊」と云う言葉を安直に使うひとは琴子さんのこちらのエントリを読んでじっくりと反省して下さい。それは「言霊」って言葉の持つ言霊をそもそも大事にしていないことになるから。

で、全体にはこれまで取り上げて来たエントリと同傾向なんだけど、ひとつはっきり見られるのは、道徳と美醜の考え方の混乱。

それが次の写真です。片方は「バカやろう」もうひとつは「ありがとう」という文字を水に見せてつくった結晶です。文字にも固有の振動数があるので、その振動が水に転写されたのではないかと考えられています。

ちなみに、ありがとう、という言葉は、外国人によると、日本語の中で1番美しい言葉に感じられるそうです。感謝の念が、深く伝わってくるのだとか。

この水の結晶の差は、一体何なんでしょうか。

ここでこの方は、「幾何学的に整ったものは美しい」「道徳的なものは美しくなる」と云う美意識をはっきりと打ち出している。なのにその後で、

顔の美醜を問わずに出世できるのがあたりまえと考えている日本人の感覚はじつはとてもめずらしい感覚なのです。それが祖先が残した宝でもあります。江戸時代、人は生まれつきの美醜は問われなかったので、みんな自分の身の丈で努力して、いい女・いい男になりました。
そして周りの人も、器量がいいとは顔のことではなく、後天的にそのひとが努力して身につけた才能・料理ややさしいこと、気が利くことなどを誉めていました。

とおっしゃっている。不道徳な言葉が外見的に醜い水の結晶をつくる、と断言しているのに?
もっとまずいのは、

そして同じような実験があります。お米を二つのビンにそれぞれいれて、子供たちに片方は「バカやろう」と毎日学校から帰ったらあいさつさせ、もう片方は「ありがとう」と挨拶させるということを一定期間つづけた結果、同じ環境にあったにもかかわらず、片方のビンのお米はカビがはえて、悪臭がし、ありがとうといわれたほうは、お酒のこうじのようなかぐわしい香りを放ったそうです。

これはよく持ち出される話だけれど、周知のとおり腐敗と発酵は本質的に同じ現象だ(この辺りもやしもん にも出て来たような)。
要は人間の都合に合う腐敗が発酵で、不都合な発酵が腐敗なのだけれど。だから、要するにこれは人間の都合で菌の種類の善し悪しを決めつけていることになる。菌の立場からするとかなり辛い話だ。かもすことが不道徳だ、と云われてしまった菌はどうすればいいのだろう。

と云うか、そもそも道徳は人間に合わせて作られているので水や菌の事情なんか知ったことじゃない、とも云えるし実際のところそれが事実だ。でも、と云うことはやっぱり、水や菌に言葉の善し悪しを聴いてはいけないのだ。