Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

時代の心性、なのか?

レオナルド駄人知さんの言葉の力と云うエントリを読んで、なんだか暗澹たる気分になった。
この方、きっといい方なんだろうな、という気がするのだ。
でも、「物事を紋切型で考え、語る」習性が完全に身に付いている。

まずは言葉の大事さを説き、それから日本語の乱れを嘆いていらっしゃるんだけど、

 私は言葉の乱れる原因を、人間の質の低下だと思っている。旧約聖書には、神の住む高さまで届く塔を建てようと思い上がった人間の話がのっている。バベルの塔を建てていた人々は、神によって互いの言葉を乱され、会話ができなくなったと伝えられている。

って、最近の日本の話でもなんでもないじゃん。もう2000年くらい前から人間の質は低かった、ってことになるんだけどなぁ。

 嘘つきの言葉に力はない。正直者の言葉には力がある。嘘つきの親と正直者の親とが子供に「お前はやればできるよ」と同じ言葉をかけても影響力が違うことは、容易に想像できるだろう。

想像できなくはないですけどそれはまぁ想像なんで、特に根拠はないですな。なんと云うか、情に訴えれば根拠はいらない、みたいな感覚がほの見えます。でも、申し訳ないですがそれは(ご本人がどう思っていても)詐欺師の論法です。

 言葉は心理作面だけでなく、物理的にも影響を及ぼす。例えば言葉によって水の分子集団(クラスター)を細かくすることだ。私は昔、気によってそれができることを実際に試した(これは誰にでもできる)がその時、言葉だけでもそれが可能だと思い、やってみるとできた。

本当か嘘か以前に、どうやってクラスターの大きさを調べたのかが気になります。ほんとはちゃんと実験で調べた訳じゃないでしょ?

科学的に調べた訳ではないから、その頃は感覚の鈍い人には分かってもらえなかったが、それが江本勝さんの「水からの伝言」シリーズや水の結晶の写真集が出版されて、理解されやすくなった。ご存じない方はサイトをご覧になると良いだろう。

でたぞ「鋭い感性」。魔法の言葉だ。

口先だけ動かしても命のある言葉は出ない。空しい言葉はもういらない。真実の力ある言葉を発したいし、聞きたいものだ。

ぼくもちゃんと意味のある、真実の力ある言葉を読みたいです。そのためには、他の方の言葉遣いをどうこう云う前にできればご自分の遣う言葉についてちゃんと吟味していただきたい。

なんと云うのかな。この方の善意はあまり疑う余地がないだけに気分が悪い。こう云うことを書くことに、何かしら意味があると思い込む人間がいるのは、時代が悪いのか。自分の書いたことが紋切型に過ぎないってことに(そしてそれがなによりも言葉から力を奪っていることに)どうして気付かないんだ。
少年の心ってやつですか。無邪気さに腹が立つ。