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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

リアリティ

hamarie_februaryさんが、菊池教授の神戸大学における「科学とニセ科学」講演についてエントリをお書きになっている。その内容に対し、菊池教授とコメント欄でちょっとした議論になったようだ。

ここで、ひとつ示唆が得られる。

例えばぼくは科学者ではもちろんないし、そもそも学者でもなんでもない。理系でさえない。身近にニセ科学にはまっている人間はいないし、そう云う意味でニセ科学から(自覚できる範囲では)直接の被害は受けていない。
でも、例えばこのブログでどうしてしつこくこの問題を扱っているかと云うと、ニセ科学を蔓延させる背景にある社会的要因が、とても強いリアリティを持って危機感を感じさせるからだ(他のエントリをお読みの方にはお分かりのように、ニセ科学の非科学性や非合理性よりも、その背景にある「わかりやすさ」指向の方が憂慮され、糾弾されるべきものだと思っている)。

そのリアリティを感じられない方には、当然ニセ科学は、(自分の世界とは別のところで起きている)単なる「反科学的な」問題でしかない。これが置かれた状況から来る相違なのか、それとも個々人の感受性の違いから生じるものなのかは分からないけれど。
こう云うタイプの方には、簡単に云うと他人事なわけで。科学者の問題だったり、ひっかかる人間の問題だったり。テレビスクリーンの向こうの桜庭対秋山戦のように。

こう云う方たちに、例えばニセ科学問題を「自分の属する社会と、社会の構成員である自分に関わる問題」として認識してもらうのにはどうすればいいのか、と云うのも(方法論レベルに終わるとしても)ひとつのテーマではあるんだろうなぁ、と思う。

追記:
お名前に「さん」が抜けて失礼な書き方になってしまっていたのを修正しました。でも、あぁ、そのまんまトラックバックされちゃった…
ごめんなさい。