Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

背景を認識する

novtanさんの科学者だって金のためなら本当のことは言わないを読んだ。まぁ、現実だと思う。誰でも食べていかなければいけないし。でも、「食べていくこと」の根源は、やはり職業倫理から発しているのではないかと思うが如何。

信頼できる科学者が言っているから正しいという態度も決して正しいわけではありません。どういうつもりで言っているか、すなわち文脈を読み取る力がないと信じることは盲目的な信仰と同じです。

これは全く同感で、まぁそのままのことを菊池誠教授も云っているし(なんと云うか、彼がこれを口にするとちょっと微妙な二律背反が生じるのだけれど、そこまで引き受けての発言ですな)。そこを短絡すると、原理的にはニセ科学を信じるのと同じことになってしまう。

でも、「文脈を読む」ことは「空気を読む」こととは違うと思う。

科学の世界も空気を読む力が全く不必要なわけではなく、むしろ研究の意図を読み取り内容を曲解しないためには積極的に必要なのです。

「空気を読む」と云うのは事物の背景をきっちりと捉える、と云うことではなく、「事物の背景を誰にでも分かるような紋切型で規定した上で、それを共通認識の前提とすることで自分を相対的に多数派にする」と云う意味だと云う気がするので。

って云うかぶっちゃけ「空気を読む」と云う言葉がいまひとつ気に入らないだけかもしれないけど。だって、それはお約束に従えない誰かを、(それがなぜいけないのか、どこがお約束に反しているのかについての考察も指摘もなしに)一面的に切り捨て、嘲笑う時以外に使われない言葉だし。背景にある文脈を推測して真意を把握することは時には大事だけど、それを「空気を読む」と云う云い方をするのは違うと思う。

あ、でもこう云うところに引っかかるのはlsさんに「空気を読む(だけでまともに物事を自分の頭で判断しないままなんとなく物事を進める)」のが「文系的」と決めつけられたことへの反発がまだ残っているだけかもしれない。やつあたりかも。novtanさんごめんなさい。