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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「論座」追加

「論座」2007年2月号の山形浩生さんの記事が、立ち読み可能になっている(多分次号が出るまでの短期的な掲載だと思われるけど)。

論調は山形さん的な「身も蓋もなさ」を抑えたもので、それをらしくないと取ることも、流石にきっちりと求められる効果を計算してお書きになっていると捉えることもできる。
ただ、難しいなぁ、と思うのは、山形さんが意外と世人のリテラシを信用されていること。「ニセ科学はネタにして遊ぶべき」なのはまったく同意で、普通のひとならその程度の理解力・思考力はあって当然、のはずなのだけれど、実際のところそうではなかった、と云う実態が菊池教授たちを現在の活動に駆り立てている訳で。

そう、本来は「ひとを教育する」と云うような立場にある人間は「水からの伝言」を信じないくらいの最低限の知性と思考力は当然のごとくあってしかるべきなのに、事実それを授業でとりあげてしまう教師が複数実在する。子供たちへの影響以前に、原則的にそう云う人間に対してひとにものを教える資格を与え、税金から給料を払って雇うのは世情やリテラシ以前に完全に間違っているはずなのに、社会はそれを「間違っている」と認識する力さえ失いつつある。大仰に云えば、これは文化そのものが壊死しつつある兆候かもしれないのだ。