Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

音楽的知性

実はこのグループに触れるのは少しおっかない。ので、少し先延ばしにしていた。

燦然と神秘のガムラン

燦然と神秘のガムラン


ゴン・クビャールは大人数のアンサンブルだ。また、多くの楽器が2台で対になっていて、ひとつの旋律を分割して受け持つ技法(コテカン)がひとつの大きな特徴だ。あ、コテカンはゴン・クビャールだけの技法ではないけれど。あの目にも留まらない凄まじいスピードのパッセージは、おおむねこのコテカンによって生まれてくる。

何が云いたいのかと云うと、要するに結構理詰めのアンサンブルだ、と云う話。とは云え楽譜がある訳ではなく、指揮者がいる訳でもない。クンダン(太鼓)と主旋律楽器のリードに奏者が意識を集中させて、全体としての音楽を構築していく。この辺、ロックバンドを少しやった事がある程度のぼくからすると演奏の技術としてちょっと想像がつかない部分もあるのだけど。

これまで取り上げてきたくらいには、当然ながらいろんな演奏を聴いてきている。もちろん録音として手に入るものは、多分その録音時の出来不出来はあるんだろうけど、根本的にその実力が認められている楽団のもので、多くは数十年の歴史を持つ老舗だ(楽器はもっと古かったりする。伝承ではグヌン・ジャティの楽器セットはもともと13世紀に作られたものらしい)。でも、このヤマ・サリはこれまで取り上げられてきた楽団の中では多分一番新しい(1993年結成。ひょっとするとこちらの方が新しいのかもしれないけど)。そして、最も戦略的で、新しい発想で音楽にアプローチしている。

前段で書いた通り、ガムランの演奏は全体としてきっちりとコントロールされていないとそもそも成り立たないくらいに精妙なバランスの上にある。でも、このヤマ・サリは、そのコントロールの行き届き方が尋常ではない。リーダーのクンダン奏者(どうもこのひと、名前からすると王族っぽい)がピックアップしたと云う個々の奏者の技量もそうだけれども、オーケストレーションが伝統に則った(「手癖」的な)発想ではない、明らかに抜群の音楽的知性による配分に基づいていて、結果表現はある意味まるきり民族音楽的ではない。ゴン・クビャールと云うものを完全に再構築している、と云う印象まで受ける。
そのうえで、作曲技法・演奏技法についてはバリガムランの伝統をきっちりと踏まえているのだ。

なんと云うのか。この辺り、どんなふうに文字にすればいいのかまだちょっと心許ないので、取り上げるのが遅くなったのが正直なところ。めちゃくちゃ面白いのだけど、個人的には、最近ゴン・クビャールの音色があまり得意ではなくなってきている節もあって、どうかなぁ、と云う感じではある。
ただ逆にもう、ガムラン、と云うものに対する固定観念を全部外して聴けばまちがいなくとても面白い「現代音楽」だと思う。