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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ニセ科学容認について(2)

この中村さんと云う方の文章はどこかでお見受けした事がある

最近では阪大の菊池誠教授がNHK視点・論点に出演し、問題点を指摘しているが、その言論は科学の頑迷さ・傲慢さを印象づけるものでもあり、2ちゃんねるの話題ともなった。

2ちゃんはちょっと覗いただけだけど、あんまり「菊池教授の頑迷さ・傲慢さ」を糾弾している、と云う印象は持たなかったけどなぁ。

科学的であるかどうかは、事実が起きているかどうかとはかかわりがない。科学的でないことによって事実が起きていないとするのは非合理である。薬理におけるプラセボ効果にしても、プラセボという心理効果があることを指摘しているのであって、薬理がないから何も起きぬことを証明しているのではない。

この文章、ぼくの頭が足りないせいか意味がよく分からないんだけど。このひとにとって事実ってなんなんだろう。お水さまが言葉を理解する事かな。「よい波動」のおかげでEM菌が滅私奉公して人間に都合のいい(細菌としては不合理な)活動をしてくれることなのかな。
あと、プラセボって「実際に病状の改善に結びつく」現象のことを云うので、もちろん「何も起きぬことを証明」する事なんかじゃないです。

妙なたとえ話になって恐縮だが、道端で手をあげたらタクシーが止まった。ここには、手を挙げる動作が原因となって、タクシーが止まるという結果になる。
だが、バス停の前に立っていて、しばらくするとバスがやってきたからといって、バス停の前に立っていることが原因で、バスがやってくることが結果ではない。バス停に人が立っていようが、いまいがバスは必ずやってくるのだから…。

あまりに独特のたとえ話でぼくみたいな頭の悪い人間には何を云いたいのかまるっきり分からない。

とか思ったらこの方、別のエントリで「対象についてちゃんと調べないで言及する事もあるけど、そこに問題があるとは思ってない」みたいな事を書いてる。
なんか、無理にニセ科学に言及しなくてもいいのに。