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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

ニセ科学容認について(1)

esperさん、と云う方のエントリ

個人的には、水からの伝言を学校教育で用いるのはやりすぎだろうけれども、大げさに否定する類のものではないと思う。理科の時間にやらぬ限りにおいてはそれほど大きな問題とは思っていない。
ニセ科学否定派の強硬な反対意見に対し、宗教の奇跡には反対せず、ニセ科学を否定するのはなぜだろうという疑問がある。

科学と宗教では役割が違うし、そのことは大抵の人間は理解しているから、ですってば。

しかし、道徳教育にニセ科学を持ち込むなという倫理を科学側から押し付けるのはどうなのか。「持ち込まない方がいいと思うよ?」ぐらいの言葉遣いで提案するのが分をわきまえた大人の発言だろう。

便利なので「水からの伝言」を持ち出すけど、「美しいものは道徳的に正しい。幾何学的に醜いものはすなわち美的に醜いもので、それは不道徳だからだ。それは言葉の表面的な善し悪しによる。これは量子力学に基づいた事実だ」って云ってる訳で。こう云う事を小学生に道徳の時間に教えるのを容認するのが分をわきまえた大人ですか。はぁ。

人間的な論争は、言葉遣いをめぐる戦いを内容を対象として行う、極めてずれた行為である。このずれがコミュニケーションを継続する原動力であり、投機筋の富の源泉でもあるのだ。

なるほど、投機筋の方なのかしら。
企業活動の活性化を通じてプラスサムを実現しようとする投資と違って、投機ってのは情報の非対称性を利用して、情報の多い方が少ない方から利益をかっさらってくるゲームだから、騙されるような人間は素直に騙されていてくれないと困りますものね。