Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

「分かりやすさ」と資本

お金が「分かりやすさ」に向かって動いている。
現状は現状として認めるべきだし、実際のところひとりの勤め人として結果的にはそういう方向を指向して振る舞う事になる。でも、分かりやすさは一定の営為において関わる一部の人間の怠惰さに利する事はあっても、それ自体で価値として評価されるべきではない、と思っている。

この方のブログからは結構勉強させて頂いたのだけれど、こちらのエントリには少し考えさせられた。

ニセ科学について、あれこれ書いたりしている。もともとは友人の学者が憂慮して、まぁ(ちょっと嫌な云い方だけれど)「立ち上がった」ことに触発されて始まった事だ。ぼくは結構いい加減な文系なので(いい加減、は8割は「ぼく」に、2割は宿命的に「文系」に係る)、どうしても「ニセ科学の用いる言説のロジック」に話題が集中してしまうんだけれど、まずそれ以前にいま現にアカデミズムの中でどう動けばいいのか模索していらっしゃる科学者の方々の行動がどうやったら社会に対して実効性を持ち得るのか、について考えていた。

結局のところ、どこからお金を持ってくるか、なんだよなぁ。
でも、お金を持っているひとたちは、ほんとうにそのお金をどうやって増やすか以外の事は考えてないんだろうか。