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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

重層性 (「オクシタニア」佐藤 賢一)

読み終わるのに随分と時間がかかってしまった。

オクシタニア〈上〉

オクシタニア〈上〉

  • 作者: 佐藤 賢一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/08
  • メディア: 文庫

オクシタニア〈下〉
もちろん上下巻にわたる大著だからなのだが、それだけでもないような。

佐藤賢一は好きな作家で、文庫に落ちれば必ず追う、というほどではないにせよ(お小遣いには限りがあるのだ)結構読んでいる。で、ぼくにとってのこの人の小説の楽しみはおおむね以下の3つのポイントになる。

(1)中世から近世のヨーロッパを舞台にしている事が多い。正確な知識に基づくその時代の描写
(2)さらに、登場人物の行動を通じて念入りに描写されるその時代の心性
(3)その中に立ち現れてくる、人間たるものの普遍性

ひょっとするとこの3つの重点のバランスが違うだけで、これは歴史小説というジャンル全体に敷衍して云える話なのかもしれないけど、そこまで言い切れるほど歴史小説に通暁していないので控えておく。で、多分描きたいのは(3)の部分なのだろうけれど、それぞれのレイヤーに十分な読者サービス(と云うと安っぽいが)が含まれているので、このひとの小説はとても重層的な楽しみが味わえる。

ただ、このひとの他の作品と較べて、この作品は読後感がなんとなく重ったるい。長いから、というだけではなく。物語としてちゃんとすっきりした結末は準備されているのだが。

思うにそれは、全体として4人の登場人物の視点を通して描かれているにも関わらず、そのうちエドモンとジラルダにしか、きちんとした結末が与えられていない気がするからだ。特にラモン七世は、物語をドライブするにあたってこの2人に匹敵する、あるいはそれ以上の役割を果たしているようにも思えるのに。

きっとそれぞれを主役に舞台と登場人物を共通させる連作のようなつくりになっていれば、もっとすっきりと読み進める事ができたろう。それぞれにどんなかたちでも収まりのいい結末を準備してもらえれば、読後感はもっと軽かったろう。
とは云え、作者の目指したものは最初からそこにはなかったのだろうな、と云う気もするけれど。

ぼくは根が単純なので、例えば「二人のガスコン」「カルチェ・ラタン」のほうが楽しく読めたけれど、これはどちらが優れているか、と云う事ではないと思う。ただ、これらにあった「すぐに再読したくなる感」は「オクシタニア」にはなかった。時間が経ったら、また違うかもしれない。

オクシタニアってラングドックの事だったのね。知りませんでした。