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ニセ科学と社会科学

明治学院大学の稲葉先生よりトラックバックを頂いて、コメント欄で少しお話しさせて頂いた。社会科学の分野において、「合理性」を判断する事の難しさについて。

株価を例に取る。
株価水準を決めるのは、長期的にはその国の経済の将来的な強さの予測だ。予測をするためには数多くの指標をベースにする事ができるし、ある程度の精度を得る事もできる。これは個別銘柄でも同じ事だ。幾つかの指標とそれを利用するためのメソッドについて合理的な研究がなされていて、中長期的にはその銘柄が投資に的確であるかどうかを判断する事が可能だ。

この「中長期的に」と云うのがポイントになる。
なぜなら、短期的には、株価は市場心理で左右される事になるからだ。要するに、「人気投票」。

ぼくは機関投資家の株式部門で少し働いていた事がある。だから、機関投資家と一般の個人投資家の間で、投資判断に活用できる情報の量にどれだけ差があるのかを知っている。結果として、個人としての投資が許される立場になっても、自分で株を買う気にはならない。そう云う意味で、デイトレーディングは投資だとは思っていない。過小な情報量で銘柄を選び、短期的な収益を狙う、と云う点で、デイトレーディングは賭博だ。人気の出る馬に乗った人間が勝つ。

しかし、この人気投票は実際に市場を動かし、資本の流れを決める。
怪しげな情報に基づいた非合理的な判断が大量の資本を束ね、実体経済に大きく影響する事が実際に起きる訳だ。
テクニカル分析と云う技術は、株価の推移を、市場心理の変化を予測する事によって予想しようと云う手法だ。そこには、将来的に経済価値を生み出す企業活動に必要な資金を流し込む、と云う資本市場の本来の機能とは相容れない、メタな次元での資本の流れの捉え方がある。そう云う意味で、本来は不合理なもののはずだ。
だが、それが実効性を持ち、収益に繋がる事がある。それが本当に不合理であり、トンデモであると云えるのか。

当時投資顧問業務に携わっていた昔の後輩が電話をかけてきて、ある仙台ローカルの企業について投資判断をする必要があるので、意見を聞きたいと云ってきたことがある。その企業は間違いなくハイプで、その頃資本市場を席巻していたある超ハイプ企業の関連会社だった。ので、そのままぼくはそう云った。後輩はもちろんそんな事は承知で、「でも、儲かるから投資しないのは難しいんですよねぇ」と云った。
一般の投資家よりもはるかに高い情報収集能力と分析能力を持つプロの機関投資家でさえ、賭博に淫するデイトレーダーたちの心理を読む事が「合理的」な行動である事がありうるのだ。

実は今回のエントリには結論が準備できない。ニセ科学に対して文系の学術者に無責任に「戦ってくれ」と叫んできたが、原理的に難しい部分があるのを承知している、と云う事を認めておこう、と思った訳だ。可能ならばこの部分については、個人的な当面の結論を出すべく努力していきたい。

ただ、これは云えると思う。
水からの伝言」に代表される商売がなぜ自然科学的な雰囲気のある理屈をバックボーンにするかと云うと、それはそこに「合理性」があるように見せかけるのが比較的容易だからだ。だからその意味では、今の一部の自然科学者の方々の戦法は、(実際の問題はそこが主軸でないとしても)やはり大きな価値を持つ、ということ。