Chromeplated Rat

街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

もっと賢く

この辺とかこの辺とかで、少しいじめ問題に触れた。で、結構ストレートに「報復しろ」と書いた。そしたら、呉智英こんなエントリを読んでしまった。
なんと云うか、よくも悪くも「さすが呉智英」ではある。ただ、単純には賛同しかねるのだ。

いくら少年法が守ってくれても、暴力による報復はリスクが大きすぎる。それは何より報復するものを傷つける。彼らを思ってくれるひとびとのことも、傷つける事になる。
それより何より、それはいじめている連中を変えはしない。いじめている連中は無邪気で、天真爛漫で、ゆたかな童心を持った「空気の読める」普通の子たち、早い話が犬以下の動物だ。自分たちがしている事が、誰かを傷つけているなんて思いもしない。

きみたちの暴力で、彼らは悔やんだりしない。だったら、力をつけろ。大人になって知恵がついたら、そのときに合法的に報復するのだ。彼らが悔やんでも悔やみきれないほどの報復だ。彼らの一生を台無しにしてやれ。

そのときのために、きみたちは力をつけなければいけない。きみたち自身も、きみたちの大事なひとたちも傷つけずに、彼らを叩き潰す事ができるだけの。だから、今を生き抜くのだ。
これからも、大多数の「普通のひとたち」はきみたちの周りからいなくならない。きっと、今より増えていくだろう。今と同じように、形を変えたいじめを続けていくだろう。多数派は何をしてもいい、というふうに、どうやらこの国を支配している権力者たちも思っているようだし。
戦いは続く。だから、戦い続けられるだけの力をつけるんだ。

力を得たきみたちが、それでも彼らを叩き潰したいと思うか、それはそのときに考えればいい。一生「普通のひとたち」からは逃れられないのだから。