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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

メディアを使った「反ニセ科学」

田崎教授の「『水からの伝言』を信じないでください」という文書がブロゴスフィアの結構コアな辺りで話題になっている。
まぁ、ぼくは結構以前から菊池教授のブログも見ていたので、いまさら、とは思わないまでも「いま始まった話じゃないのになぁ」とかは感じたりするけど。

問題はふたつあって、そのふたつのドメインが若干重なっている、と思う訳だ。
(1)営利目的の新興宗教が、科学を装っていること。
(2)この新興宗教の道徳論が、教育の現場を侵犯するケースが発生していること。

菊池教授も田崎教授も、商売柄(1)の方にしかアプローチし辛い。でも、(2)の方により大きな問題があるようにぼくは感じる。もちろん両教授ともこの点に対する目配りは当然されているけれど、その難しさも感じておられるのが議論の中で分かる。

で、ちょっとシビアなことを書いてみる。(2)の問題にアプローチするための方策。

基本的に、「水からの伝言」辺りにひっかかる人間は、自分で考えることが苦手だ。「考えるんじゃない、感じるんだ」ではないけれど、自分が気持ちいいと感じることが真実で、それ以外は「心がない」とか云う。自分の感性とやらを信じる訳だ(会話の中で「感性」と云う言葉を使う人間はだいたい傲慢で馬鹿だ)。要するに、このエントリで書いた「王様」なわけだ。

ネットでの訴求は、訴求対象者が検索をする人間(=自分で考える材料を自分で集めるという行動をする人間)である時にしか、有効ではない。プル型のメディアは、主体的に物事を判断しようとする人間以外にはあまり訴求力を持たない。ものを考えたくない人間に対しては、その人間が何もしなくても情報を流し込んでくれるプッシュ型のメディアの方が効果が高い。

プッシュ型のメディアの代表は、やはりテレビだ。テレビの特番かコマーシャルで訴求するのがいちばん。支持率の高いタレントに出てもらうのも大事。そう云うのがいちばん彼らの「感性(笑)」に訴求することが出来るから。
菊池教授の云うように、真鍋かをりしょこたんに応援を頼むのもまじで有効かも。

ポイントは、「善意」。「感性豊かな(爆)」みなさんは、善意を大事にされる傾向が見られるので。訴えかける先は、合理性でも道徳性でもなくて、ひたすら「善意」。

彼ら彼女らは、なぜか善意をひたすら信じている。善意に基づいて行った行動はつねに良い結果をもたらす、と盲信しているケースが多い。どれだけの戦争が善意に基づいて行われ、どれだけ多くの命が善意のもとに失われたか、なんていうことは考えてみもせず、ひたすら「善意に基づいてやったんだから。俺たち/あたしたちの善意を否定するのか」とか言い出す(そう云えばこういう阿呆のこともネットで少し話題になっていた。昔ならこういう奴は有無を云わさずネットから叩き出されていたのに)。

卑怯な手口なのは分かっている。新興宗教「お水さま教」の手口と変わらない。でも、手段を選ばずに(2)の問題を解決しようとするなら、ぼくはこれが一番有効だと思う。コマーシャルにして、加藤ローザ辺りにぽろりと涙でも零させて、「水よりも、ひとの心が、私には大事!」とか云わせたりして。

問題なのは、そのコマーシャルの制作費と放映時間を賄う資金だが。公共広告機構あたりがやってくれるといいんだけど、出資企業の構成を見るとどうも反ニセ科学に与してはくれなさそうだしなぁ。