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いまでも、動いている (「グーグル・アマゾン化する社会」森 健)

グーグル・アマゾン化する社会

グーグル・アマゾン化する社会

  • 作者: 森 健
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/09/15
  • メディア: 新書


もともと、いま目の前で繰り広げられている事象をテーマにした本はあまり読まなかった。風化が明らかに予測されるものに対して手を出したくない、という貧乏人根性からなのだが。
まぁ小説なんかは別で、それは時間が経っても別の価値(それが例えば「懐かしさ」に過ぎなかったとしても)が生まれうるからなのだけれど。「今」を論じた本は、できれば立ち読みの斜め読みで済ませたいという感覚があった。もしそれで、自分が日常感じて把握している「今」とずれがあった場合に、自分の認識を微調整する必要さえ感じることが出来れば、それで十分だった。
とはいえ、今はここ10年少し続いた一連の「インターネットとそれにまつわる事象」が一段落し、量的な変化がリアル社会の質的な変化に繋がる結構重要なタイミングなのではないかと思っている。いちおうその一角に住処を持っているものとして、最近はちゃんとこのへんとかこのへんは読んでいる。この種の本は出た瞬間に読むか、少なくとも小飼弾さんが書評に取り上げた直後くらいには読まないともう少しずつ風化が始まってしまうのだけれど(これってネットスピードだなぁ)、実際にはこういう商売絡みの本ばかり読んでいるのも楽しくないのもあって、若干遅れ気味になる。残念ながらこの本もそういう嫌いはあった。

ネットが絡む仕事をしていて、日々自分の仕事についての知見を更新する必要がある人間にとって、この本には特に目新しいことはない。目新しいことがないのが悪いと云うのでは当然なくて、逆にそこで(おそらく大半の人間が)漠然と感じていることを、きっちりと整理して書いてある。

多様性を原則とし、その増幅装置であるはずのインターネットで、なぜ特定の方向への意見の偏りが発生するのか。ある考察を質的に評価する前に、なぜ「空気を読んで」いるかどうかが問われるのか。ネットはフラットであるはずなのに、なぜネット特有の論調が発生するのか。
そうして、そう云う傾向はこれから増加するのか、それともさらに質的な変化が発生するのか。

実は少しセマンティックウェブというものに懐疑的で、それは原則となるロジックの隙間に発生する細かな事象を漠然と拾い上げて意味付けする営為を本業としている、まぁ文系としての業なのだけれど。
ひとの行うことに、作為が入らないことはあり得ないのではないか。それをコンピュータ・ロジックで置き換えても、完全にフラットな視点は持ち得ないのではないか。日常的にべったりと依存している欠かせない存在であるところのGoogleに、どうしても気味悪さが拭えないのは、多分個人的にそういう懐疑があるからで。

では、ネットを使うものとしては、どのような態度があり得るか。ここを少し考えなければいけないと思う訳だ。
個人的な意思表明としては、ぼくはとりあえず入れ替わり立ち替わり登場するビッグブラザーや代替ビッグブラザーに対して、できるだけまつろわずに関わり続けていきたいと思う。ネットを成立させ、今でも支え続けている「インターネットの精神」を、目先は信じ続けることにして。
ネットが社会を、ほんとうにぼくたちが夢見た方向に変化させてくれるのか。そうじゃないとしても、戦う手段は探せるはずだから。