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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

まだ、おとなにならない (「ススキノ、ハーフボイルド」東 直己)

ススキノ、ハーフボイルド

ススキノ、ハーフボイルド

  • 作者: 東 直己
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 文庫


と云う訳で、土曜の午後に買いにいって、今朝読み終わった。「駆けてきた少女」の裏面というか、こちらがサイドAって印象。

「夜のピクニック」について書いたときに、学校生活はファンタジーだ、などと書いた。これは、逆に書くと、その中にいるときには外の世界がファンタジーだ、ということでもある(なんと云うか「失われた植民地」テーマに近いノリの話だな)。と云う訳で、彼は外の世界に出て行こうとする訳だ。
こういうの、なんか感覚的に分かるな。大体の男には十代中盤〜後半にこういう時期が来る訳で。

もちろん、主人公は賢い少年だ(今の時代、賢くない少年を主人公にすると、この種の話は夢も希望もなくなりがちだ)。どれくらい賢いかと云うと、自分がまだひよっ子だ、と云うことを知っていて、どれくらい背伸びをしているのかを把握している。だから、話は感傷に流れない。ススキノ、というファンタジーゾーンで、彼はその視点を持っていることによって、きっちりと学び、傷つくことが出来る。

その点で、主人公はレギュラーの「便利屋」よりも大人かもしれない。もう50に手が届こうとする便利屋は、それだけの長い時間をススキノで揉まれながらも、未だにファンタジーから抜け出ていない。主人公より世間智には長けていても、もうこれから大人になることは出来ないのだ。その点で、この2人は好対照であり、同時に相似形だ。そこが、楽しい。

しかし、この主人公はまだ高校3年生なのに、同級生の発情した匂いを嗅ぎ取ることが出来る。うらやましいぞ。当時のおいらなんか、それが理解できなかったばかりに、どれだけの滑稽なシーンを生んでしまったことか。
「もっとうまくやれたはず」とか考えさせるのは、恩田陸と同じなんだけど。でも、ベクトルが逆なのは作家の資質の違いか。テーマは実は近いのかもしれないんだけどね。