背筋を伸ばして、悠然と (「家守綺譚」梨木 香歩)
可笑しい。本当に。
この真面目さ加減と、角がなくて当たりが柔らかいけれど猛烈な可笑しさ。誰かに似ている。
ぼくは百鬼園先生を連想した。
周りを囲むものに、まっすぐに向き合う。美しいけれど隙間だらけの、日本的な空間と事物に。
自分に、まっすぐ向き合う。矜持と、美意識と、怠惰さと、煩悩と。
その真剣さに、ゆるりとした余裕がある。そのことが、しみじみとした可笑しさに繋がる。
このひとは、とても女性的な作家だと思っていた。
このひとの描く女性たちは、とても大地とそこに息づくものたち——とりわけ植物たちーーの近くにいる。それをとりわけ強く感じたのが「からくりからくさ」だった。身の回りの植物たちと、そこにアプローチするための「技術(わざ、とルビをふりたい)」を持って、女たちは地母神のように日々を送る。
それらが、どこか他者のもののように感じられるのは、ぼくが男だからだと思っていた。分からないことを、それでも心地よく感じながら、いくらかの憧れをもって物語を追っていた。
それはとても日本的でもあり、梨木香歩のバックボーンにある(技術者としての「魔女」の伝統を持つ)イギリス的でもあった。
「家守綺譚」の主人公は、「からくりからくさ」の女たちのように、彼を取り囲む自然に向けて自らアプローチしたりはしない。それでも、まっすぐに向き合うことによって、彼を取り囲む事物が彼に語りかけてくる。植物、動物。けれんみなく、彼は素直にそれを受け止める。貧しいながらも、悠然と。
そこから、深いおかしみが生まれる。かろみ、と云うか。
そうしてぼくは、日中ずっとふと訪れる思い出し笑いの発作に耐えることになるのだ。
そうして、描かれる事物はほんとうに美しい。なにか、わかつきめぐみの絵柄を連想させるように。
(どうでもいいが犬と遊びたくてしょうがなくなるぞこの小説は。ええいどうしてくれる)