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街や音楽やその他のものについてのあれこれ。

仙台の本屋(3)宝文堂本店

本屋の個性と云うのは、どこで出てくるんだろう。
おそらくどこの本屋も置いてある商品の半数以上は同じものなのだろうと思う。数の出る本はどの本屋でも変わらないだろうから、商売である以上それらに重点を置くのは当然のことだろう。

この辺り、少し興味深い考察を見たりもしたのだが。

気の利いた本屋、と云うのは存在する。前に書いた、その昔仙台に存在した八重洲書房なんかはぼくにとってはその典型だ(ぼくより少し前の世代にとっては、サヨクなご本の充実した本屋、という印象になるらしいのだが)。
東京にもそういう「充実した」本屋はあるし、少し前に住んでいた福岡にも、小さいけれど主張の明確な本屋はあった。
逆にTSUTAYAみたいに、売り場面積は広くて商品も沢山あるようでいて買いたくなるような本はなにもない、みたいな、果たして本屋と呼んでもいいものか悩むような業態も存在するが。

宝文堂本店は、老舗中の老舗なんだろうと思う。現在の所在地がかつて新伝馬町と呼ばれていた頃からここにあるようなので(現在のクリスロードの一角。しかしいつ頃まで新伝馬町と呼ばれていたのかは不明。開府以来の地名であるのは確かなのだが。ついでに云うとクリスロードって名前はどういう意味だ)。一番町3丁目・4丁目から書店が絶滅してしまったいま、ここもまぁ相対的にうちからは近い本屋にはなる。

しかし、行かない。新星堂や仙台マンションの中をうろつくことはあっても、ついでに立ち寄ることがあまりない。青葉通りのブックスあゆみに行ってしまう。なぜなのだろう。

立ち寄れば、ちゃんとした本屋だ。欲しいものも探せる。しかし、なんと云うか、コクに欠けるのだ。いや、老舗らしく王道を行っていると云えるのかもしれないけれど、なんだかわくわくしない。街中で生き残っている希少な地元資本系書店なのだから、頑張って欲しいのだが。ならまずお前がそこで購入しろ、と云う突っ込みはまぁお約束ではあるが。

ちなみに老舗らしく、郷土史関係の出版元にけっこうなっていたりする。そちらの方面の好事家には結構有名らしい。そう云うニュアンスでの存在意義は、それはそれで意味深いものではあるだろうと思う。