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あり得たはず、の虚構 (「夜のピクニック」恩田 陸)

夜のピクニック

夜のピクニック

  • 作者: 恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/09
  • メディア: 文庫


学校生活と云うのはそれだけでファンタジーで。
そこに所属していていつも顔を合わせる同世代のメンバー。その空間でしか通じない美意識とルール、その中で一人前の顔をして夜郎自大になっていて、でも未成熟でいつも不安を抱いている青少年。そして、最初から制度化されているエンディング。
ある意味、とても便利だ。

この作家は、その便利な状況を使いこなすのが上手くて、そこで(ひょっとするとそこのみで)真価を発揮する。なんというか、(なんらかの意味で)閉鎖された人間関係のなかで一定以上の濃厚さで展開される物語、というか。
ましてやこの小説は、学校生活と云う制度の中にクライマックスとしてビルトインされた2日間を描いているのだ。ずるい、と云えばずるい。そのことが必ずしも不快である、ということではないけれど。

ぼく自身の話をすれば男子校なぞに通ってしまったこともあってそれはそれは散文的な高校生活ではあったのだけれど、でも考えてみると男子校なんてこの世にある最も虚構臭い社会ではある。でも、その当時も、こんな高校生活を夢想していたような気がする。
つまり、「あるべきだった高校生活」。やれやれ。

要素そのものは、多分あるのだ。誰にでも。
誰か女の子とデートしただの、お手紙を貰っただの、試験の前にお守りを貰っただの。
でも知っている限り、ぼく自身やぼくの周りの連中に当時起こったことは、こんなに素敵ではなかった。同じ要素で構成されていても、もっと不細工で不器用だった。
あとから、それは自分の中で綺麗な思い出に昇華されたりしたかもしれないが(と云うか、ぼく自身の不細工な行動が、年数を経た後で女の子たちの記憶の中で昇華されていて面食らった記憶も幾つかある。ひとの心の働きというのは奇妙なものなのであるなぁ)。
彼女の小説で描かれるのは、そうして昇華された後の記憶、という気がどうしてもする。

だから多分、この小説を読んで感じるノスタルジーは、そもそもが虚構なのだ。
それを筆力の冴えとみるか、それともそういうものが成立し得る状況をひたすら掘り下げていく手法ゆえのマジックと捉えるか。
読んでる間にほんわかした気分を味わえることだけは間違いないのだけれど。

しかしどうして彼女の小説に登場する男の子たちはこうも淡白、と云うか性欲が薄いのだろう。高校生の男なんざ淫獣なのだがなぁ。なにがなんでもリアリティが必要、と云いたい訳ではないけれど。